2004.06.30 Wednesday
大島を含む奄美群島が、北緯二八度三二分三〇秒から二七度〇分五三秒にわたる南北に長大な島嶼群であるということを知る日本人は、意外に少ないかもしれない。そういう筆者自身も、今回訪れるまでは島々の正確な位置さえ知らなかったことを、ここに白状する。奄美群島は、大島、喜界島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の有人八島で構成される。現在は鹿児島県に属し、名瀬市の他、十町三村がある。南北二〇〇??以上に及ぶ大島郡は、日本最長の郡でもある。
群島中最大の奄美大島は、離島では佐渡島に次ぐ大きさで、総面積七一二.二一平方キロメートル、周囲の長さは四六一??に及ぶ。飛行機から眼下を見渡すと、海岸線にまで迫る山々の峰が幾重にも重なって、南の島というと蒼い海しか頭になかった筆者のような不心得者には、一種異様の趣がある。後で調べてみたら、それは飛行機から眺めた光景に限ったことではない。実際に島の八五%は山林原野に覆われ、耕地面積は全体のわずか二.七%に過ぎない。従って、冒頭に書いた南の島における開放感云々という景色を見るのは、実は、比較的平地が多い島の北部でのことで、それ以外ではほとんどが亜熱帯の密林の中を走る山道だ。地図で見て数キロの距離が、実際に走ってみたら意外に時間がかかるというのも珍しくはない。
奄美の気候は亜熱帯海洋性。筆者が訪れた三月は、すでに汗ばむほどの陽気だ。もちろん、南国だけに夏の暑さは格別で、一年の半分は夏日を記録するという。特に奄美の夏といえば必ず俎上に上るのが台風で、昔は酷い目に遭うことも度々であった。とかく災難とは重なるもので、終戦の年の一九四五年九月に襲った台風では、死者六五名、負傷者一八名、全壊半壊合わせた住宅被害は一四,三四八軒という大被害を被った。戦中以来の耐乏生活を余儀なくされてきた島民にとっては、困窮ここに極まれりという状況だったろう。
敗戦後、八年の米軍支配を経て奄美群島は本土に復帰、以来特別措置法に基づく振興政策によって生活水準は漸次向上し、台風による被害も、各方面のインフラが整備されるにしたがって減少してきた。しかし、物質文明が益々盛んとなりつつある現代にあって、奄美は島であるが故の新たな問題を抱えている。
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2004.06.28 Monday
「ほんとにきれいな海でしょ。風が吹く度に色が変わりますよ。」島の案内を買って出てくれた名瀬市市民福祉部長の佐々木さんが、穏やかな表情でこう言った。三月もいまだ中旬だというのに、すでに初夏のものとも感じられるような陽射しを受けて、脚下に展開するびょうぼう渺茫たる海がきらきらと輝いている。水平線の向こうには、霞の中にしんきろう蜃気楼のように浮かぶ喜界島の影。桜はとうに終わったというから、島はこれから梅雨を経て夏に向かう。
南の島に降り立った時の心持ちというのは、他ではちょっと味わえないものだ。視線の先の障害物といえば、潮風にゆらめ揺曳くサトウキビ畑と島に特有の瓦屋根くらいで、大小のビルに視界を妨げられて遠い景色を眺めることの少ない都会人には、いかにも開放感がある。頭上に広がる蒼い空に、太陽の恵みを受けた山々の深緑は頗る配合が良い。海岸沿いの道を行けば、ハイビスカスの花が時折派手やかな真紅の顔を覗かせる。東京から飛行機でたった二時間のフライトの後で、車窓を巡るみずみず瑞々しい光景を目の当たりにすると、普段の鬱々たる日々を脱して一種蘇生の感がある。大都会は開化した沙漠だと誰やらが言ったが、南の島に来てみると改めてその思いを強くせずにはいられない。
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2004.06.23 Wednesday
ものを書く、つまり「アウトプット」することの裏側には、通常それに匹敵するだけの「インプット」の作業があるものです。身近なところでは、読書や映画鑑賞、友人との会話、あるいは散歩などなど。身近なところから離れれば、旅やフィールドワークは立派な「インプット」になり得ます。
「アウトプット」はものを書くことに限りませんが、ともかく、何らかの有益な「アウトプット」ができるようになりたいと思ったら、それに倍する「インプット」に意を用いる必要があります。
最近僕が注目しているジャーナリストの日垣隆氏は、徹底した現地取材に加えて、一月に120冊(!)もの本を読むそうです。なるほど、日垣氏の著作やテレビでのコメントを聞いていると、いちいち肯かされてしまいます。まあ、読書量に限っても、せいぜい氏の15分の1に過ぎない僕が、最初から叶うはずがないのですが(笑)。
次回からここで連載する「奄美紀行」は、2泊3日の現地調査と5,6冊の読書という「インプット」から産まれたものです。活字にして人様に読んでもらうには、あまりにお粗末な「インプット」の内容ですが、お金は取らないので、どうか勘弁してもらいたいと思います(笑)。
それでも、職場内での評判は、まあまあなんですよ(^^ゞ
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2004.06.21 Monday
故郷に帰る度に、あることに気がつきます。夜は暗い、ということです。当たり前じゃないか!なんて言わないでください。これは、都会に住んでいると意外に解らないものです。都市生活で、自動販売機の明るさに目を奪われる、ということはあまりないですよね。それだけ都会の夜は明るいのです。
数年前にラオスを旅した時のこと。僕が宿を取ったメコン河沿いの小さな村は、生活に使う電気を自家発電で賄っていました。もちろん電気は貴重品、ということで、8時には消灯。都会生活に慣れた旅人といえども、自然の闇には手も足も出ず、翌朝ニワトリの鳴き声で目覚めるまで、おとなしく眠っているしかありませんでした。
もともと暗いはずの夜を明るく照らして、人間が活動する時間を拡大した、というのは、確かに画期的なことです。でも、日常の生活から夜の闇を取り去ってしまうのは、もったいないことです。遺伝子工学の権威、村上和雄氏(筑波大学名誉教授)は、「大発見のきっかけは、しばしば夜の闇の中での閃きによるものだ」と言っています。村上氏の言う「ナイト・サイエンス」は、夜の闇があるからこそ生まれるものなのです。
そういえば、昼間のような明るい場所だったら、あんなことは言えなかったかもしれない、ということが、僕にもないではありません(笑)。それも、「ナイト・サイエンス」の賜物かもしれませんね。
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2004.06.15 Tuesday
小中学生の頃、作文の時間はいつも憂鬱でした。本はそこそこ読む方なのけれど、文章を書くのはどちらかというと苦手。夏休みの読書感想文の宿題などは、最後の最後に悪戦苦闘した思い出があります。原稿用紙がなかなか埋まらない時の重苦しさ、皆さんも経験があるのではないでしょうか。
文章を書く、ということへの意識が変わったのは大学1年の時。教養を深めようと肩肘を張って(苦笑)、福澤諭吉『学問のすすめ』を読んでからです。福澤の明快で強烈な主張を読んで衝撃を受けたことと、それに啓蒙された明治の日本人がついに近代国家を創ったことに感銘を受けて、いつか自分もこんな著作を世に出してみたい、などど無謀な(笑)夢を抱いたのがきっかけです。今思うと、文を書くスキルさえお粗末なのにそんなことを考えるあたり、「自分も若かったなぁ」と、ちょっと恥ずかしい思いがします。
その僕が、最近、自分の作品を発表する機会がありました(照)。まあ、発表といっても、僕の職場で、全国の関係者向けに発行する機関誌なのですが。。。(もちろん非売品)その機関誌に、3月の奄美大島出張を題材に8000字くらいののレポートを書いて、ささやかな「夢実現」の運びとなりました。
まだまだ福澤にはおよびませんが(笑)、僕の記念すべきデビュー作を「ぜひ読みたい!」という奇特な人がいたら、ぜひご一報を! …って、誰もいなかったりして(^^;;
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2004.06.12 Saturday
「上司にしたい人ランキング」というものが、毎年話題になります。星野仙一、長嶋茂雄、カルロス・ゴーン、北野武、フィリップ・トルシエ…。いずれも、それぞれの世界で強烈なリーダーシップを発揮した人が多いようです。
優れたリーダーとはどんな人を言うのか。いつかリーダーになるかもしれない(!?)自分も、時々それを考えることがあります。
『学問のすすめ』の中で、福澤諭吉は「世話の字の義」という一項を立て、「世話」という言葉には2つの意味があるといっています。ひとつは「指図」の意味。もうひとつは「保護」の意味。この2つの「世話」がバランスよく保たれて初めて、人間関係はうまくいくのだと。
指図することにばかり熱心で、保護することには一向無頓着なリーダーに、部下が従わないのは当たり前です。
海軍提督、山本五十六の言葉。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。」
褒めることはともかくとして、やってみせることもままならず、言って聞かせることさえいい加減で、させてみて上手くできなかった部下を、「出来が悪い」と責めるリーダーなど、信頼を得られるはずがありません。
せいぜい反面教師として、将来の自分の肥やしにする以外に使い道はない、と、思うのであります。
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2004.06.09 Wednesday
僕は、喫茶店で本を読むことを日課にしています。仕事が比較的早く終わることが多いので、6時半には地元の駅に到着、すぐ家には帰らずに喫茶店に入ります。駅前には3軒の某チェーン店があって、1時間半から2時間、じっくり本に没頭することができます。テレビのバラエティー番組も良いけれど、読書は、感性を豊かにする上でこれ以上有用なものはありません。
僕が本を選ぶ時に意識するのは、なるべく質の高い本を手にすること。現在は日々たくさんの本が出版されていて、本物とまがい物の区別がつきにくいものです。そんな時は、世に出されてから長い年月が経った「名作」と言われる本を選んでみましょう。長い間読み継がれた作品に、駄作ありません。
『五重塔』(岩波文庫)は、もちろん、名作のひとつに数えられる作品です。著者の幸田露伴は、明治??昭和の文豪。『声に出して読みたい日本語』の斎藤孝先生が「腰肚(こしはら)文化の家元的存在」と言う、明治人らしい人物です。
『五重塔』は、露伴の真骨頂が表れた文語体の美しい文章で、腰と肚のすわった力強さに惹きこまれてしまいます。さらに、登場人物たちの筋の通った立ち振る舞いが、物語をきりっと引き締めています。
『五重塔』を読んで、日本語の美しさを、改めて感じてみてください。
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2004.06.03 Thursday
この季節になると、いよいよ夏休みの計画を考え始めます。梅雨入り前から夏休みもないだろうという声が、ある方面から聞こえてきそうですが(笑)、夏休みは1人で外国に行く僕にとっては、これでも早すぎるということはありません。
まずは行き先を決めること。世界地図を前に、今までに行った国、昨今の地域情勢、当地の気候(南半球は季節が逆!)、などによって、行く地域を絞り込みます。
次に、航空チケットのチェック。これが以外に盲点で、例えば中東あたりだと、直行便はイランとトルコには飛んでいても、シリアやヨルダンは普通ヨーロッパ周りになります。同様に、中央アジアなら、直行便があるのはウズベキスタンのみで、周辺国に行くには相当な不便を強いられます。日本から真っ直ぐ行ける、サラリーマン向きの国(?)は意外に限られるのです。
目的地が決まったら、旅行会社で飛行機の空き状況を調べてもらいます。もし空きがあったら、その場で迷わず予約してしまいましょう。夏休みの時期は早めに席が埋まってしまうので、二の足を踏んでいると、タッチの差で逃すことがままあります。海を渡って外国へ行く、ということを思うと、そこで逡巡するのは無理もないのですが、コンビニに買い物にでも行くつもりで決めてしまうくらいのフットワークが必要です。
で、仕事が一段落した僕は、今年の夏休みを過ごす場所を早々に決めました。文豪三島由紀夫が「あの国は、生涯の中で行ける人と行けない人がいる」と言った、エネルギーに満ちた国。往復の航空チケットは確保したし、あとは、上司にちょっと長めの夏休みの許可をもらうだけ(笑)。
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