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その9 人知を超えた力

四月下旬、東京に田中一村展がやってきた。「奄美群島日本復帰五〇周年記念」の一環として、東京の大丸デパートで開かれた展示会に、筆者も足を運んだ。代表作「アダンの木」や「クワズイモとソテツ」の前にたたず佇んで、初めて目前にした一村の作品群に声を失った。作品から醸し出される一村の気迫が、時空を超えて観る者に迫ってくる。潮風を受けたクワズイモの葉が生きたように揺らめき、雲間から洩れる微かな陽光を受けたアダンの針葉は、意志を持っているようだ。「一村は神を描いた」という者もあるが、確かに、彼は奄美の生命力溢れる自然の中に、人間の力の及ばないあるもの、すなわち「Something Graet」でも見ていたのかもしれない。
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その8 森の奥にあったもの(後)

環境省によると、全国の不法投棄または違法な保管状態にある使用済自動車は一六万九千台。うち離島分は二万一千台に上る。しかし、これは表向きの数だ。現行の「廃棄物処理法」では、所有者が「有価物」だと主張した場合、それは「廃棄物」の扱いとはならない。従って、外見上いかにゴミと判定されるような代物(しろもの)でも、「廃棄物処理法」上の「廃棄物」とは限ら
ない。
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その7 森の奥にあったもの(前)

島の西部にある知名瀬地区。集落から農道を数百メートル分け入った薮の中に、天井が潰れ窓ガラスを割られた車が、無造作に放置されていた。昨夜の雨に濡れた車体が、背丈ほどに伸びたススキの間から鈍い光を放っている。
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その6 奄美と大和(後)

琉球の使節が軍隊を伴って海の向こうからやってきて、喜界島を従えたのが一四六六年。琉球の時代は一般に「那覇ン世」と言われ、奄美では平和な時代として認知されている。対して、続く薩摩支配では「黒糖地獄」に象徴される収奪によって、島は大いに苦しめられた。薩摩が奄美を永く生番扱いにしていたことは、奄美に島流しに遭った西郷隆盛が、島人を「毛頭人」「えびす共」と蔑んだことにも明らかだ。従って、本土では不世出の英雄として衆庶の尊敬を受ける西郷を祀る記念碑が、奄美では一介の石碑とみすぼらしい庵に過ぎないのも止むを得ない。
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その5 奄美と大和(前)

名瀬市屋仁川地区。市役所環境対策課の渡さんに誘われて、こぢんまりした地元料理の店に入った。器量の良いママさんがパートの女性と二人で切り盛りする感じの良い店だ。屋仁川地区は小さな飲食店が並ぶ繁華街で、昼は閑散としているが夜になると仕事帰りのサラリーマンや観光客で賑わう。奄美に来た大和人は、黒糖焼酎で杯を満たしながら島の言葉に耳を傾ける。地元の居酒屋は、異国情緒漂う奄美を実感するに相応しい場所だ。名物料理の豚足などを肴にしながら、話は奄美の歴史や文化へと及んだ。
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その4 黒い浜(後)

東京海洋大学の兼広春之教授によれば、海洋ごみは一般に「マリンデブリ」と呼ばれ、海岸漂着ごみ以外にも海面を漂流するごみ、海底に堆積するごみがある。とりわけ最近ではプラスチック廃棄物による汚染が深刻で、世界の海に流れ込む年間数百万トンからのプラスチックが、漁場環境や生態系に悪影響を与えている。しかも、プラスチックはその性質上ほとんど分解しないから、一度海に出てしまえば半永久的に海を漂い続ける。
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その3 黒い浜(前)

黄緑色の実をつけたアダンの木が茂る中を、潮風が吹いてくる方角に向かって歩いていく。目の前に広がる遠浅の海の遙か沖で、クリフにぶつかったうねりが白い波頭を揚げている。そこから珊瑚礁を隔てて筆者の立つ白い砂浜には、穏やかな波が薄紗(はくしゃ)の縮れたようなしわ皺(しわ)を寄せている。空と海との境界は朧気(おぼろげ)な霞のうちに溶け込んで絵画的にぼかされ、見る者に、遠い遠い海の彼方のニライカナイを連想させる。
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その2 南北に長い島嶼群

大島を含む奄美群島が、北緯二八度三二分三〇秒から二七度〇分五三秒にわたる南北に長大な島嶼群であるということを知る日本人は、意外に少ないかもしれない。そういう筆者自身も、今回訪れるまでは島々の正確な位置さえ知らなかったことを、ここに白状する。奄美群島は、大島、喜界島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の有人八島で構成される。現在は鹿児島県に属し、名瀬市の他、十町三村がある。南北二〇〇??以上に及ぶ大島郡は、日本最長の郡でもある。
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その1 島の景色

「ほんとにきれいな海でしょ。風が吹く度に色が変わりますよ。」島の案内を買って出てくれた名瀬市市民福祉部長の佐々木さんが、穏やかな表情でこう言った。三月もいまだ中旬だというのに、すでに初夏のものとも感じられるような陽射しを受けて、脚下に展開するびょうぼう渺茫たる海がきらきらと輝いている。水平線の向こうには、霞の中にしんきろう蜃気楼のように浮かぶ喜界島の影。桜はとうに終わったというから、島はこれから梅雨を経て夏に向かう。
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