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その9 人知を超えた力

四月下旬、東京に田中一村展がやってきた。「奄美群島日本復帰五〇周年記念」の一環として、東京の大丸デパートで開かれた展示会に、筆者も足を運んだ。代表作「アダンの木」や「クワズイモとソテツ」の前にたたず佇んで、初めて目前にした一村の作品群に声を失った。作品から醸し出される一村の気迫が、時空を超えて観る者に迫ってくる。潮風を受けたクワズイモの葉が生きたように揺らめき、雲間から洩れる微かな陽光を受けたアダンの針葉は、意志を持っているようだ。「一村は神を描いた」という者もあるが、確かに、彼は奄美の生命力溢れる自然の中に、人間の力の及ばないあるもの、すなわち「Something Graet」でも見ていたのかもしれない。
時は移り、一村が奄美の自然を描いてから三〇年以上が経った。そして、日本は今や世界第二位の経済大国として堂々たる地位を得るに至った。しかし、「大なる文明の底には大なる野蛮がある」と、明治時代に生きたある著名なジャーナリストは言っている。ハイウェーを走るきら煌びやかな新車の群れや、街に溢れる商品をまともに観て感服するばかりが人間ではない。あらゆる野蛮を覆い隠す東京のような大都会の裏には、その成れの果ての姿が露骨に現れた奄美の森の惨状や、かつてウミガメが上陸した汚れた浜が存在することに想いを致すべきである。自らの文明のツケを、自らの働きによって支払うことができない文明の末路が碌な方面に向かわないことは、すでに歴史の繰り返し証明するところである。

 かつて奄美の自然に神を見た一村は、果たして、現在の奄美の情景を前に如何なる感慨を持つだろうか。筆者のそんな思案とはあくまでも無関係に、電車の窓から眺めた東京の街は、今日も鮮やかなネオンに彩られてこうこう煌々と輝いている。
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