<< May | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< その4 黒い浜(後) | main | その6 奄美と大和(後) >>

その5 奄美と大和(前)

名瀬市屋仁川地区。市役所環境対策課の渡さんに誘われて、こぢんまりした地元料理の店に入った。器量の良いママさんがパートの女性と二人で切り盛りする感じの良い店だ。屋仁川地区は小さな飲食店が並ぶ繁華街で、昼は閑散としているが夜になると仕事帰りのサラリーマンや観光客で賑わう。奄美に来た大和人は、黒糖焼酎で杯を満たしながら島の言葉に耳を傾ける。地元の居酒屋は、異国情緒漂う奄美を実感するに相応しい場所だ。名物料理の豚足などを肴にしながら、話は奄美の歴史や文化へと及んだ。
奄美大島が日本の歴史に登場した年代は意外に古い。史料上の初見は、『日本書紀』(以下『書紀』と記す)斉明三年七月丁亥朔条(ていがいのさくじょう)で、

「都貨邏国の男二人女四人、筑紫に漂泊せり。言さく、「臣等、初め海見嶋に漂泊せり。」」

とあり、斉明三年すなわち六五七年に「都貨邏国」(とからのくに)の人が初めて奄美の風俗を伝えたことがわかる。『書紀』には、その後、六八二年(天武十一年)に「多禰人・掖玖人・阿麻弥嶋人」が朝貢した記事が見え、大和王権による南嶋政策の一端を示しているが、政策の目的が、「版図の拡大・遣唐使の航路確保」にあるのか、「貢納制的支配の拡大」にあるのかは、研究者の間でも意見が分れている。

 以後、一時奄美は日本史の表舞台から姿を消すが、十五世紀には琉球の支配下となる。
奄美紀行 | comments (0) | trackbacks (0) admin

Comments

Trackbacks

Trackback URL : http://www.saftyblanket.com/travel/2008/sb.cgi/50