2005.08.01 Monday
インド通の旅仲間に薦められて、遠藤周作の代表作、『深い河』を読みました。「深い河」とは、インドの聖なる河ガンジスのこと。暗殺されたインディラ・ガンジー首相も、指の腐った手で物乞いをする女も、等しく受け入れて流れるインドを象徴する河です。
2005.07.26 Tuesday
「英国の食事はどうしても好きになれない。」
僕の同室になった中国人の雲昭君が、渋い顔をしてそう言った。彼は倫敦で服飾の勉強をする優男で、日本人の僕を見つけて、昨日からいろいろな会話を交わしている。
2005.07.15 Friday
広いアジアに、身ひとつで飛び出した時の興奮は、今でも忘れることができません。幼い頃、補助輪をはずした自転車に、初めて1人で乗った時のフワフワした感覚。そんな落ち着かない思いで、カトマンズ行きの飛行機から、どこまでも続く雲海を眺めたものです。
2005.06.23 Thursday
「バスの屋根から倫敦を見よ」
19世紀後半の大政治家グラッドストンは、倫敦の街を評するに、こんな言葉をもってしたらしい。グ翁の名言は、当時往来を盛んに練っていた乗合馬車を言ったものだが、現代の倫敦で実地にこれを体験するとすれば、すっかり名物になったダブルデッカーの赤いバスをおいて外にない。
バスには膨大なルートがあって、倫敦人でさえ空で覚えている訳ではないから、方角を見定めたら、まずは闇雲に乗ってみるがよい。地下鉄で通り過ぎていたポイントとポイントが線でつながって、倫敦のアウトラインを得るには極めて効果的だ。
2005.06.17 Friday
僕の職場でも、今週から、世間の風に倣ってクール・ビズ解禁となりました。回覧されたお知らせには、アロハシャツ、ランニングシャツ、短パン、ビーチサンダル(!)の他、著しく常識を逸する服装以外は着用お構いなし、とあります。
2005.06.14 Tuesday
カノン・ストリートの駅を出ると、道向かいに鉄格子で厳重に囲った石が据えてある。これが有名な倫敦ストーンで、ローマ人が英国の元標として立てたものだ。その倫敦ストーンをシティーの一角に置いているのは、城壁に囲われたシティーが倫敦そのものだったからで、シティーは今も英国経済の中心として世界に知られている。
2005.06.11 Saturday
「旅のすきま」と題して始めたこのコラムも、連載して1年と1ヶ月が過ぎました。
次々書けるだろうと思ってタカをくくっていたのが、あーでもない、こーでもないと悩む間に、更新はいつも遅れがちです。仕事と趣味を分かつのは、依頼と〆切の有無だそうですが、仮にも読者がいる上は、もう少し〆切を意識する必要があると自戒しています。
2005.06.05 Sunday
倫敦は、ヨーロッパの都会の中でもとりわけ古い町で、その成立はローマ時代に遡る。当時の倫敦は今よりずっと東にあって、倫敦塔を中心に、シティーの辺りに町が広がっていた。倫敦を征服したノルマンディー公ウィリアム、即ちウィリアム征服王は、ここに城を築いて支配の拠点としたが、これが今では倫敦名所の1つとなった倫敦塔の起こりである。
2005.05.31 Tuesday
倫敦市内の交通は、主に地下鉄とバスとに依っている。日本の都会のような地上を走る電車は、市内中心部にはなく、倫敦から外に出る場合に限られている。倫敦の地下は、東京と同様網の目のように地下鉄が通っていて、何処へ行くのにも不便を感じることはない。
2005.05.21 Saturday
かつて「七つの海に太陽の沈むことのない」と言われた大英帝国の栄光を、そのまま現代に保った場所があるとすれば、それは大英博物館をおいて外にないだろう。1753年のスローン・コレクションの公開を基に、ヴィクトリア朝には世界中の植民地からあらゆる種類の宝物を集め、年間700万人と言われる訪問者を迎えている。