2005.08.01 Monday
インド通の旅仲間に薦められて、遠藤周作の代表作、『深い河』を読みました。「深い河」とは、インドの聖なる河ガンジスのこと。暗殺されたインディラ・ガンジー首相も、指の腐った手で物乞いをする女も、等しく受け入れて流れるインドを象徴する河です。
死の間際の妻から「もし私が死んだら、生まれ変わりをきっと見つけて」と言われた磯部。生真面目なクリスチャンだった大津をもてあそび、月並みな相手との結婚に破れた美津子。第2次大戦中、ビルマのジャングルで悲惨な体験をした木口…。
それぞれの道を歩んできた人間たちが、人生の意味を求めてインドへ向います。そして、ガンジスのほとりに広がる聖地バラナシで、それぞれの想いが絡み合って、物語は展開していきます。
僕は、去年初めてインドを旅することができました。バラナシがある北インドではなく、インドでもどちらかというと田舎と言われる南インドを、大陸最南端のカーニャクマリからチェンナイまで、主に鉄道で歩く旅でした。2週間で広い地域を旅したつもりが、地図を見たらインド亜大陸のほんの一部だったことに気づいて、軽いショックを受けたものです。
さて、インドにはこの世のあらゆるものが混在している国、という印象があります。例えば鉄道。座席は5段階に分かれ、最上のエアコン1等車の料金は、最低の板張り2等車の料金とは、15倍くらいの開きがあります。往来には、あらゆる乗り物、動物、人間がひしめいて、砂埃を巻き上げています。寺院の壁は、シヴァ、カーリー、ヴィシュヌ、ガネーシャその他たくさんの神々で埋め尽くされています。
そんなインドで、「母なる河」といわれるには、よほど懐の深い河でなければ務まらないはずです。
輪廻転生をテーマにした三島由紀夫の四部作、『豊饒の海』を読んで、生きることの意味を深く深く考えた後にこの本を読むと、より理解が深まるようです。『豊饒の海』でも、第3巻「暁の寺」で、バラナシとガンジス河の情景が描かれています。
ちなみに、第1巻「春の海」がこの夏に映画化されるとか。三島の美しい物語が、どんな映像になるのか、映画ファンには気になるところです。
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2005.07.26 Tuesday
「英国の食事はどうしても好きになれない。」
僕の同室になった中国人の雲昭君が、渋い顔をしてそう言った。彼は倫敦で服飾の勉強をする優男で、日本人の僕を見つけて、昨日からいろいろな会話を交わしている。
英国の食事は、一般にまずいのをもって聞こえている。一番の名物は、今僕らが食しつつあるイングリッシュ・ブレックファストだ、などと陰口をたたく者もあるくらいだ。そのクセ料金は概して日本よりも高めで、僕のような貧乏人はいよいよ英国料理に悪印象を持たざるをえないことになる。
数少ない英国料理の中で、比較的僕らに身近なのがフィッシュ・アンド・チップスだろうだ。値段は決して安くないが、まずは英国式ファスト・フードとでも言うべき料理で、往来にもそれを食わせる店が多い。ブロックに切った魚とフライド・ポテトを大きな皿に山盛りにして、ケチャップやタルタルソースで食べる。持ち帰りも自由で、公園のベンチなどでこれを食べる倫敦人もたまに見かけることがある。
あまり知られていないが、ビーフ・ステーキも有力なる英国料理のひとつだ。狂牛病問題でいくらか影響はあったが、依然として倫敦にステーキ・ハウスの数は少なくない。僕も、話のタネにピカディリ−・サーカス辺で1度ステーキ・ハウスに入ったが、10ポンドくらいで立派なステーキが食えたから、倫敦の物価に照らすとあまり高いほうではないと言える。
英国というと、すぐに紅茶を連想する外国人は多いが、最近ではコーヒーショップが爆発的に増えている。日本で見知ったスターバックスのほか、類似したコーヒーショップが往来に目白押しのところもある。紅茶文化を信奉する者の中には、こうした風潮を嘆く向きがあるようだが、僕は倫敦でコーヒーショップが増えることに、あながち反対するものではない。
かつて倫敦ではコーヒー・ハウスが大流行した時代があって、18世紀の初頭には、倫敦中で3000件以上の店が営業していたという説がある。最近の傾向は、倫敦が昔の記憶をにわかに思い出して、21世紀の現代に実践しているに過ぎない。
コーヒー党の僕には嬉しい限りだが、タバコも酒もコーヒーもやらない雲昭君のような者には、あまり有難くない傾向だろうと、僕は街のコーヒーショップで想像した。
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2005.07.15 Friday
広いアジアに、身ひとつで飛び出した時の興奮は、今でも忘れることができません。幼い頃、補助輪をはずした自転車に、初めて1人で乗った時のフワフワした感覚。そんな落ち着かない思いで、カトマンズ行きの飛行機から、どこまでも続く雲海を眺めたものです。
『ASIAN JAPANESE 1』(新潮文庫)は、そういった旅人の息づかいが感じられるバックパッカーのバイブルともいうべき作品です。
著者の小林紀晴は、フリーカメラマン。バックパッカーの大半がそうであるように、日常の閉塞感や自己の未熟さを乗り越えるため、著者は23歳にして会社を辞め、半年間のアジア放浪の旅に出ました。そして、旅先で出会った旅人達の姿を、同じ旅人として、またカメラマンとして、丹念に描いていきます。
脱サラして数日後、バンコク ドン・ムアン空港行きの飛行機に乗って海を渡る時の不安、1人で異国に降り立った時の興奮、行く先々で出逢う旅人の葛藤と情熱。バックパッカーを経験した人なら誰でも、本書に登場する旅人達が見せる姿に、かつての自分を重ねてしまいます。そして、自らが旅してきた町の光景や、匂いや、喧噪がたちまち脳裏に蘇るでしょう。
旅行に対して一般にイメージされる優雅さとは正反対の、時に修行のような日々を送る若者達。葛藤と情熱を秘めて旅を続ける彼らの言葉は、どれも曖昧で、いまだ確信めいたものではありません。それは、自分の将来に確かなものが見つからないまま旅に出て、確かなものを掴むために、旅を続けているからです。
自分だけの確信を手に入れるため、見知らぬアジアで必至に戦う旅人達の姿に、読者はきっと引き込まれることでしょう。
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2005.06.23 Thursday
「バスの屋根から倫敦を見よ」
19世紀後半の大政治家グラッドストンは、倫敦の街を評するに、こんな言葉をもってしたらしい。グ翁の名言は、当時往来を盛んに練っていた乗合馬車を言ったものだが、現代の倫敦で実地にこれを体験するとすれば、すっかり名物になったダブルデッカーの赤いバスをおいて外にない。
バスには膨大なルートがあって、倫敦人でさえ空で覚えている訳ではないから、方角を見定めたら、まずは闇雲に乗ってみるがよい。地下鉄で通り過ぎていたポイントとポイントが線でつながって、倫敦のアウトラインを得るには極めて効果的だ。
僕は今朝、宿の前の停留所からバスに乗って2階座席に座り、グ翁のいわゆる「バスの屋根から倫敦見物」を実践しつつチャーリング・クロス・ロードへと向った。
この往来は古本屋があるので有名で、オックスフォード・ストリートからトラファルガー・スクエアに延びている通りだ。行く行く往来を歩いていると、東京の神保町ほど軒並みではないが、ポツリポツリと古本屋がある。漱石も留学中にはここに随分通ったらしい。
中には、革張りの古めかしい本が頭上高くに並んだ横に、梯子が立てかけてあるような店もあって、古倫敦を偲ぶには相応しい往来だ。
古倫敦というと名前があがるのが、新旧ボンドストリートだろう。三百何十年か前に、サー・アーサー・ボンドという人が造った往来だそうだが、古くから倫敦一の贅沢屋町で通っていた。
オックスフォード・ストリートの繁華な辻から入ると、あまり人通りの多くない往来の両側に、金銀宝石、時計骨董その他あらゆる物品の高価な店が並んでいる。日本でも見知ったバーバリーやロレックス、グッチ、アルマーニ、ルイ・ヴィトンの看板も立っている。中には1775年創業と銘打った扉の下のウィンドウに、2000ポンド、3000ポンドという馬鹿らしい時計を並べている店もある。
要するに、昼飯代をいちいち気にする僕のような貧乏人には一番縁遠い往来だ。
倫敦に来てもあまり物などほしがらず、グ翁の言に従って、バスの2階から街を眺めるのが、倫敦においては、最も経済にして効果的なる娯楽である。
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2005.06.17 Friday
僕の職場でも、今週から、世間の風に倣ってクール・ビズ解禁となりました。回覧されたお知らせには、アロハシャツ、ランニングシャツ、短パン、ビーチサンダル(!)の他、著しく常識を逸する服装以外は着用お構いなし、とあります。
突然のお達しを読んだ同僚諸氏は、概して歓迎の色をみせながらも、困惑するところがないではありません。
Yシャツにネクタイは一種のユニフォームです。みんなと同じスタイルで、上司や先輩の言葉に従うのが立派なサラリーマンだと思っていた人に、「明日からクールにキメてこい」とは無理な注文です。困った末に、スーツに変わる「クールビズ・ビズ・スタイル」という名の新しいユニフォームをほしがっている人が、あるいは多いかもしれません。
先輩や上司に遠慮せず、僕は、これ幸いと解禁初日からクール・ビズを実践しています。妙に遠慮した、ネクタイをとっただけのYシャツ姿は、単にみっともないだけですから、いわゆるトータル・コーディネートを楽しむつもりです。この機会を利用して、つまらぬ上下関係など気にせずに、粋なクール・ビズを目指そうと思っています。
「みんなと同じ」が尊重されるサラリーマン社会で、お前のような若輩が目立ったことをして大丈夫かと、憂うる向きもあるでしょう。なーに心配はいりません。僕のような者が、2人3人と増えるうちに、みんな雪崩を打って、「俺もクールにしてみよう」と思うでしょう。「みんなと同じ」でいたい彼らがそう思うまでに、あんまり長くはかからないでしょう。
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2005.06.14 Tuesday
カノン・ストリートの駅を出ると、道向かいに鉄格子で厳重に囲った石が据えてある。これが有名な倫敦ストーンで、ローマ人が英国の元標として立てたものだ。その倫敦ストーンをシティーの一角に置いているのは、城壁に囲われたシティーが倫敦そのものだったからで、シティーは今も英国経済の中心として世界に知られている。
カノン・ストリート駅からキング・ウィリアム・ストリートに出て北に向うと、ローヤル・エクスチェンジの前に至る。イングランド銀行をはじめ、ビクトリア朝に建てられた建築群が並ぶ重厚な街並みは、大英帝国華やかなりし昔の面影を今に伝える。ピカディリー・サーカス辺りとは正反対の、一種緊張感を保った往来を、ビジネスマンが行き交うなどは、見逃しがたい倫敦的景色だ。皆センスアップされたシャツにネクタイで、いかにも紳士然としているのは、新橋辺のサラリーマンは雲泥の差がある。 英国紳士靴の老舗として知られるGharchが所々に店を構えていて、日本なら7万、8万という革靴を6割くらいの値で売っている。財布の底をはたいて、ようやく3万くらいの革靴を買って得意になっている僕のような田舎者は、シティーでは冷や汗をかかざるをえない。
今のシティーの基礎ができたのは、1666年の倫敦大火の後だ。ロンドン・ブリッジの方へ下っていくと大火記念塔という柱があるが、その近くのプディング横丁から出火した火事は、当時木造の建物が建ち並んでいたシティーを焼き尽くした。
大火後、件のクリストファー・レンとジョン・イーヴリンの両人が都市計画案を作成したりしてシティー再建に当たり、レンガと石でできた堂々たる街に生まれ変わった。レンの新築もしくは改築したものは、倫敦だけで五十余箇寺あるそうだが、その最も壮大なものが件のセント・ポールである。
シティーの伝統で、皇室の馬車が区内に入るときは、テンプル・バーと称する昔の境界で停車を要求されるのだそうな。僕のような平民は、みすぼらしい身なりで歩いていても咎める者もない。シティーの往来には、今も倫敦の平民主義が息づいている。
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2005.06.11 Saturday
「旅のすきま」と題して始めたこのコラムも、連載して1年と1ヶ月が過ぎました。
次々書けるだろうと思ってタカをくくっていたのが、あーでもない、こーでもないと悩む間に、更新はいつも遅れがちです。仕事と趣味を分かつのは、依頼と〆切の有無だそうですが、仮にも読者がいる上は、もう少し〆切を意識する必要があると自戒しています。
さて、「旅のすきま」とは我ながらうまいタイトルをつけたものだと、密かに僕は思っています。サラリーマンになり立ての頃、僕は、先輩サラリーマンの視野の狭さに驚愕して、あんな大人にはなりたくないと願ったものです。したがって、職場に通う日常は「旅と旅のすきま」にすぎないと、このコラムで、暗に宣言したつもりです。
根っからのサラリーマンは、自分がサラリーマンであることに、迷いはありません。昼は他人から命じられた仕事に没頭して、夜は同僚や上司との付き合いに興じて月日を過ごすうちに、彼らはやがて吾を忘れていきます。日常起こる出来事や社内のルールは、本当は瑣事にすぎないのに、吾を忘れてしまった一群は、これに異変があればスワ一大事と色めき立ちます。
社会人になってまもなく、僕は、周りの人々の、流言飛語に余念がないことを発見して、この世界はうさん臭いと思ってしまったのです。社内や部内を揺るがす大事件は、よーく見ればただの茶番に過ぎないことが判ってしまったのです。
あれから6年。僕は一人前(?)のサラリーマンになりました。そして、旅のすきまからその茶番を眺めては、肚の中で嗤っています。今後は少し〆切も気にしながら、旅のすきまに出会う様々な茶番を書いていきたいと思っています。
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2005.06.05 Sunday
倫敦は、ヨーロッパの都会の中でもとりわけ古い町で、その成立はローマ時代に遡る。当時の倫敦は今よりずっと東にあって、倫敦塔を中心に、シティーの辺りに町が広がっていた。倫敦を征服したノルマンディー公ウィリアム、即ちウィリアム征服王は、ここに城を築いて支配の拠点としたが、これが今では倫敦名所の1つとなった倫敦塔の起こりである。
テムズ河を西から下り、ロンドン橋をくぐると、正面にタワー・ブリッジの妖しい塔が2つ聳え、左手に倫敦塔が見えてくる。21世紀の現代にあって、中世趣味の記念碑が並んで建った図はいかにも倫敦的だ。
僕は例のごとく地下鉄に乗って倫敦塔の裏手のロンドン・ヒル駅で降り、倫敦塔へ向った。塔内拝観のためには13.5ポンドという破格の入場料を要するが、これを渋々支払って中に入る。さらに3ポンドで音声ガイドを借りると、お上り連と一緒になって逐次拝観に及んだ。
倫敦塔は、元来は王の居城兼砦として造られたものだが、牢獄としての歴史が長いために陰惨なイメージを免れない。国王ヘンリー八世が愛人と結婚するために断頭台に送られたアン・ブリンの話や、リチャード三世によって暗殺されたエドワード四世の2人の王子の話など、いずれも死にまつわる話ばかりだ。 漱石が「最も憂鬱の2年なり」と言った倫敦滞在で、珍しく『倫敦塔』という小稿を書いたのは、塔の暗い印象と自らの内向的性格の波長が合っていたのかもしれぬ。
僕には、昨夜観たタワー・ブリッジの妖しくも美しい姿が印象されてならない。実際に観るライトアップされたタワー・ブリッジと、夢の中の景色とが目の前でシンクロして、空想の世界が現実に現れたように感じられる。
平和の倫敦には、美しい光景がよく似合う。
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2005.05.31 Tuesday
倫敦市内の交通は、主に地下鉄とバスとに依っている。日本の都会のような地上を走る電車は、市内中心部にはなく、倫敦から外に出る場合に限られている。倫敦の地下は、東京と同様網の目のように地下鉄が通っていて、何処へ行くのにも不便を感じることはない。
往来を歩いていて、「UNDER GROUND」の看板を見たら、それが地下鉄の入口だ。倫敦の地下鉄はいずれも地下深くを通っていて、乗客は長大なエスカレーターに乗ってプラットフォームに至る。地下道は鉄管を埋め込んだような丸天井で、余計なスペースはほとんどないから、洞穴の中を行くような具合だ。
さらに中を走る電車もこれと同じような円形をしていて、車内は両側に人が座ると間を通れないくらいに狭い。またドア付近は天井が低いので、僕のような、あまり背の高からぬ者でも身をかがめなければ入れない。連日の通勤ラッシュで怪我人が出ないのが不思議なくらいだ。
切符は日本の切符の3倍もあるようなやつで、改札の前の窓口か自動券売機で買う。僕のような旅行者は、トラベルカードというのが便利だ。倫敦の中心から同心円状にゾーン1からゾーン6に区切り、1日、1週間、1ヶ月、1年の期間で、それぞれ定期券のように使うことができる。旅行者はほとんどゾーン1で用が足りるから、最も安いのを買えばよい。
地下道を歩いていると、たまに無名の音楽家に出逢うことがある。ギターを弾いて唄っているのが多いが、中にはクラリネットを吹いているのもあり、ヴァイオリンを弾いているのもあり。大道音楽家のくせにどれもなかなかの腕前で、ちょっとチップを投げても差し支えなさそうに思える。
地上の活動のみならず、地下の倫敦を研究するのも得るところ極めて大である。
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2005.05.21 Saturday
かつて「七つの海に太陽の沈むことのない」と言われた大英帝国の栄光を、そのまま現代に保った場所があるとすれば、それは大英博物館をおいて外にないだろう。1753年のスローン・コレクションの公開を基に、ヴィクトリア朝には世界中の植民地からあらゆる種類の宝物を集め、年間700万人と言われる訪問者を迎えている。
ギリシャ式の正面入口を入ると、来館者はグレート・コートと称する大広間に出る。天井ガラス張りの堂々たる空間で、「The Museum」の称に背かない光景だ。グレート・コートの入口を入ってすぐの所にはインフォーメーション・デスクがあって、僕もここで最も安い2ポンドの館内マップを購入して、さっそく拝観に及んだ。
英国はかつて、アジアから中近東、アフリカ、南北アメリカに無数の植民地を保有したが、その世界中の植民地から奪ってきた文化遺産の量たるや、実に膨大なものだ。いずれも国宝級の宝物が並んでいるのだが、それら全部にいちいち感心して観ていたら、1週間を費やしたって観切れるものじゃない。
時間的には旧石器時代から近代、空間的にはヨーロッパから中近東、アフリカ、西アジア、インド、中国、極東までを網羅したこれだけの規模の博物館は、今後造られることはないだろうというガイドブックの説も、強ちデタラメではない。
今のグレート・コートのある大広間は、5年前まで、リーディング・ルームすなわち閲覧室になっていた。ヴィクトリア朝時代に、貧しい学生にも利用の機会を与えるために開設したものであったが、『資本論』のマルクスをはじめ、ガンジー、孫文、レーニンや日本の南方熊楠など、東西の偉人たちも連日ここに通っていたらしい。かつて、ディケンズの言う「みすぼらしくも上品な人々」で満たされていたリーディング・ルームは、規模を縮小しつつも円形ドームの下に再開されている。
上品ならざる僕のような者でさえ出入り自由なのは、実に英国の平民主義の実現である。ルールばかり気にする日本が、官僚主義の依然たるのも無理はない。
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