2006.06.29 Thursday
「河童が覗いた」シリーズで有名な妹尾河童さんの本に、『少年H』(上下2巻 新潮文庫)という小説があります。妹尾さんが少年のころの神戸の様子を描いて、戦前の世相をいきいきと伝える名作です。
妹尾さんは昭和5年生まれで、昭和16年の開戦の年は11歳、4年後の終戦時は15歳。「少年H」が肌で感じた戦前戦中は60年以上の昔で、当時の生活を語れる人は、今は少なくなっています。
戦前の話なら、僕は実家の祖父母から子供の頃に聞いています。
僕の祖父は終戦の年19歳。昭和20年2月に、房総半島高舘の海軍航空隊基地に入隊して、そこで終戦を迎えました。
航空隊といいながら、基地に待機する零戦はすでに数えるほどだった、それもアメリカ軍のグラマン戦闘機の機銃掃射で戦わずしてヤラレてしまった、昭和20年3月10日の東京大空襲の夜、海を挟んだ西の空は真っ赤に染まっていた、「米軍が上陸したらお前たちは蛸壺に入って、爆弾を抱いて敵に体当たり攻撃を食らわすんだ」と上官に命令されたと、兵隊時代の記憶を、祖父はよく話してくれたものです。
「蛸壺」とは、地面に掘った人ひとり入れるくらいの穴のこと。『少年H』にも、蛸壺を使った自爆攻撃の訓練の様子が出ていて、僕は子供の頃に祖父に聞いた話を懐かしく思い出しました。
「戦前は真っ暗だったなんて大ウソだ、苦労もあったが楽しかった」と、これは、終戦時に神風特攻隊員だった
母方の祖父がよく言っていた言葉です。同時に、夏彦翁がそのコラムで盛んに言っていることです。
『少年H』は、真っ暗だったという戦前を、むしろ爽やかな明るさで描いています。大人と子供、隣近所の人々、学校の友達、親子の間のそれぞれの付き合いは、むしろ今より健全だったように感じます。
そんな毎日を過ごした少年もいて、反対に、真っ暗だった人も中にはいたかもしれない戦前という時代の話をもっと詳しく聞いてみたいと、僕は思っています。
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2006.06.26 Monday
海外旅行情報誌『エイビーロード』が、9月号を最後に休刊することになりました。ネットの普及で情報は無料で手に入るし、航空チケットやツアーの予約も可能になったのだから、それは自然の流れかもしれない。でも、休刊の知らせは、旅人には感慨深いものがあります。
初めて海外に貧乏旅行をした10年前、僕は『エイビーロード』の姉妹雑誌『自由旅行』を買ってきて、航空券情報を調べました。この雑誌には、あらゆる旅行会社のあらゆる航空券の情報が載っていて、僕はそれを見て、新宿のH.I.Sでロイヤル・ネパール航空のカトマンズ往復129,000円のチケットを買ったのでした。
窓口のお姉さんに、「ほんとに大丈夫?」などと心配されることもなく(笑)、あっさりチケットを手にしてしまった大学4年の春休み。こんなに簡単に買えてしまっていいのか?と少し恐ろしくなったのを覚えています。
海外旅行初心者には、旅のハウツーが載ったこの雑誌は、良い情報源になりました。航空チケットの情報だけでなく、危険情報、税関やイミグレーションの情報など役立つものがかなりあった。渡航前に、僕は『地球の歩き方』ネパール編と『自由旅行』を読み込んで、おそるおそる海を渡ったわけです。
ここ数年は、旅を前にすると
「旅行人」のサイトの現地情報を見たり、旅仲間にその国ことを聞いたりして情報収集をしています。ツアー情報が中心の『エイビーロード』は、確かに手に取ることがなくなっていたかもしれない。
そこへ、突然届いた思い出の雑誌休刊の知らせ。初めての旅を決行した若き日(笑)の記憶が、鮮やかによみがえります。
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2006.06.21 Wednesday
近ごろようやく暑くなってきました。しかも梅雨前線の活動も本格化して、不快な毎日が続いております。皆さんいかがお過ごしですか?
今朝は、「傘の心配はありません」という天気予報を聞いて外に出たのに、駅まで歩く途中で雨が降ってくる始末。灰色の重たい空を見て、念のため傘を持って出かけたのが幸いしました。
家から駅までの道のりはアップダウンが続いて、通うには険しいコース。だから雨の季節、暑い季節は憂鬱です。強い雨の日なんかぐグショグショに濡れるし、暑い日は全身汗だくになる。電車に乗ったときには、ホントどこから歩いて来たんだ?っていうくらい惨めな姿です(笑)。
それでも、去年からのクール・ビズで夏は幾らかマシになりました。長袖にネクタイという気違いじみた服装からすると、体感温度は5度くらい違うんじゃないかな。ポロシャツなんか着た日には夏万歳!という気さえしたり。
せっかくクール・ビズなのだから、制汗スプレーで汗の臭いには注意しないといけません。タンクトップなどの着替えも必須。
皆さんも、快適に夏を乗り切りましょう。
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2006.06.19 Monday
年に一度のわが町出身者大集合!
ということで、故郷の「まちづくり応援団交流会」に参加してきました。東京青山で、毎年6月に開かれます。小中学校の同級生が役場にいて、開催日が近づくと出席指令があるのです。もう名簿に載っているゾと脅されて、観念して出かけたわけです。
「わが町出身者」と言っても、出席するのは親の世代以上の人たちばかりで、中に見知った人などいる会ではありません。今回は東京に住む同級生が、お父さんに声をかけられて出ることになったというので、連れだっての出席となりました。
さて、交流会が始まってまもなく、60年輩の隣の女性が、胸の名札と顔を見比べて「もしかして、○○さんの息子さん?」と声をかけてきました。会ったことも話したこともない人だと戸惑っていたら、「私は隣のそば屋の妹だ」と言います。
いろいろ話してみると、近所に座ったのは皆似たような人ばかり。こっちは初対面でも、両親や祖父母や叔父叔母とは旧知の間柄で、その子や孫なら知らない人ではないという顔で笑います。
わが故郷は昔鉱山で栄えた町で、今の倍ほどの人口があった時代がありました。その後高度成長、集団就職、過疎化、高齢化が進んで、今の姿になりました。
交流会に参加したのは、盛んな時代に都会に仕事を求めて、故郷を後にした人の集まりで、そのまま結婚して都会で生活して、忘れがたき故郷を今も大切に生きている人の集まりです。
知った人がいなくとも、交流会を楽しく過ごせたのは、共通の故郷の記憶があるからです。世代が違っても、故郷が一緒なら言葉は電光のように伝わるのです。
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2006.06.15 Thursday
今までの旅で国境を超えたのは3回。十数回も旅をしたわりには少ないほうだと思います。それでも、国境を持たない日本人にとっては貴重な体験。この河の、またはこのゲートの向こう側は別の国、となると、そこに高い壁が存在するように感じるものです。実際に越えてみると、意外に変化がなかったりで拍子抜けするのだけど。
さて、世界の国境中文字どおり高い壁が存在するところ。それは韓国−北朝鮮の国境でしょう。
ソウルから北へたったの80キロ。そこに「北緯38度線」があります。今は、厳密に38度線ではないけれど、おおよそこの線に沿って南北分断線が走っている。
僕は1日ツアーに参加して、2ヶ所にわたって国境付近を見てきました。ひとつは板門店に近い自由の橋付近。もう1つは漢江をのぞむ高台に建つ「統一展望台」です。
国境地帯には、分断線を挟んで2キロずつの非武装地帯があって、北朝鮮を見ることはできない。でも、漢江のほとりの「統一展望台」からなら、彼の国の景色を遠く望むことができます。
幅の広いところで3.2キロ、狭いところで460メートルの河の向こうに見えるのは、まばらに民家が並ぶ平凡の農村。村の中を、赤土がむき出しの道が幾筋か鮮やかに通っています。
その集落の真ん中に、5階建ての集合住宅風の建物が見えています。なんだか、北朝鮮が自国の豊かさを誇るために(!)建てたんだとか。それは日本人にも、たぶん韓国人にも、逆の印象を与えてしまうみすぼらしい建物です。
朝鮮戦争の終わりに1000万の離散家族を生んだ南北分断線。50年以上経った今、容易に消えないとてつもない差が、このラインを境に横たわっています。
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2006.06.13 Tuesday
韓国の都ソウルは、すでに東京と変わらない町だとは、よく言われることです。でも、実際に行ってよく見るとやっぱり外国。そう単純ではありません。隣国で、近ごろ経済とみに発展して、今や日本を凌ぐ分野もある韓国。でもそこは、紛れもないアジアです。
街を歩いて意外だったのは、アジアに特徴的な、大きな市場があること。屋台と露店が軒並みで、喧しい音楽がスピーカーから流れていたり、客引きが盛んに声をかける様子はアジアそのものです。今や東京と変わらないと聞いていたソウルに、こんな光景が残っているとは思いませんでした。
特に、食堂のおばちゃんの引きの強さは、アジア随一じゃないかな。
市場だけではありません。ネオン輝く巨大なビルや、縦横に走る地下鉄は世界の先進国を思わせますが、ソウルにはまだまだ前時代の光景が残っています。
零細な商店が並んだ通りはけっこう多いし、電線は低く車上を走っている。タクシーの乗り合いがいまだにあるなども、そのひとつかも知れません。
ところで僕は、その国の発展度を町で売るジュースに見ることがあります。自国で製造したものか、ビン入りと缶入りで値は違うのか、そして味はどうなのか。
日本では、ジュースといえば缶入りかペットボトルに限られる。もちろん、種類も星の数ほどあります。それは、国が豊かな証拠なんです。貧しい国では、缶ジュースはビン入りの倍くらいの値段だし、輸入物が多かったりする。自国製造だったとしても、飲めば恐るべき味です。
で、韓国のジュース事情。
ペットボトルや缶ジュースは、種類は日本ほどではないけれど、ひと通り揃っています。でもその味ということになると、昔懐かしい味(笑)だったように思います。
自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、僕はふと、十数年前の、中学高校の思い出を思いました。
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2006.06.07 Wednesday
週末2年に1度の社員旅行で韓国に行ってきました。
外国といえば遠い国ばかり眺めてきた僕には、隣国の景色は異国情緒を感じるものではないけれど、何といってもはじめての韓国訪問。2泊3日で9万円弱という大名旅行で見た、彼の国の印象を書いてみようと思います。
韓国とは200キロに満たない海を挟んだばかり。近ごろ竹島だの靖国だのとイガミ合ってばかりいるけれど、飛行機に乗ればわずか2時間の距離にあります。空港からソウルまでの道沿いに広がるのは宛然たる日本の田園風景で、わが国と変わるところがありません。
ソウルは四方を山に囲まれた盆地に発展した町。横浜のように坂が多くてごく狭い平地に、1000万以上の人が住んでいる。バスの車窓から、こんな狭い土地のどこにそれだけの人が隠れているのかと怪訝に思っていたら、やがて分かりました。
ソウルは夥しいマンションが林立する縦に長い町です。とにかく、山の斜面といい河岸といい、高層マンションが櫛比して足の踏み場もないほど。
きっと朝鮮戦争の後の急激な人口集中を受け入れるのに、あのマンション群が雨後の竹の子のように建ち上がったのでしょう。東京にも高層ビルは多いけれど、グルリを見回してもマンションのみというのは、ソウル以外ではちょっと見られない光景です。
東京と同じで、ソウルも一見するとどこの都だか分からない町なのかと思ったら、意外なころにアジアが息づいていました。
次回にその片鱗を。
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2006.06.01 Thursday
6月1日。今年もクールビズが始まります。小泉総理も「かりゆしスタイル」という、これからビアガーデンにでも行こうかという姿で記者団の前に現われました。いきなり締まりがなくなったような気もするけれど、2年目ということもあって、すんなり衣替えとなりました。
2日前にわが社にもお触れがあって、今日から一斉にクールビズとなりました。ネクタイ姿がほとんどいなくなって、朝からみんなで夕涼みといった風情です。このスタイルには賛否両論ありますが、いちサラリーマンとしては、蒸し暑い夏を楽に過ごすことができるので大歓迎。
でも、ネクタイがないと何であんなにダラけて見えるんでしょうか(笑)。ネクタイを締めた時に、視線は当然首元に集中するわけです。ネクタイを外した場合、そこが中途半端に開いた上に肌着がのぞいていたりする。で、ウダるような暑さの中を歩いた日には、締まりなんか保てようはずがありません。
それでも、ボタンダウンにしたり少し大きい衿のシャツにするだけで、かなり印象は変わります。でも、周りを見ると猫も杓子もボタンダウンという気がしないでもない。せっかくのクールビズ、妙なところで迎合せずに、僕は遠慮なく〈クール〉に行きたいと思っています。
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