2005.09.12 Monday
メコン河沿いの汚い食堂で昼飯を食べているところへ、僕の旧友がやってきた。4年前にベトナムを旅した折、僕はこの町に来て、市場を見学したり、ボートに乗って中洲に浮かぶ島に出かけたりしたのだが、その時に色々の世話妬いてくれたのが彼である。
サイゴンからバスに2時間。メコン河の河口近くに、ミトーという町がある。その時僕を助けてくれた旧友が、今もこの町に住んでいるというので、僕は一日バスに乗って会いに行くことにした。どしゃ降りの雨をおしてバスがミトーに着いたのは1時過ぎ。ここからバイタクで町へ向かう。
4年の間に、ベトナムに想像以上の変化を遂げる。旧友が経営していたレストランも、すでに洒落たカフェに変わっていた。あきらめていた所へ、彼を探しているのを見たベトナム人が電話で呼んでくれて、僕らは再会を果たすことができたのだ。
旅をしていて何が嬉しいといって、旧友に再会するほど幸せなことはない。遠い距離を隔てて暮らしている者同士が、偶然に出遭って時を経て再会を果たす。ここに、旅の大きな魅力がある。
たった2時間の再会だったが、彼は自宅に招いて食事をふるまって、あらん限りのもてなしをしてくれた。この国に三度訪れた時には、真っ先に会いに来なければならないだろう。
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2005.09.10 Saturday
かつて貧しかった国も、発展するに従って、国民の間にはしだいに余裕が生まれてくるものだ。戦争で国土を目茶々々にされたベトナムも、80年代後半の経済自由化以来、空気が一新して、日本に続けとばかりに日々の進歩に忙しい。殊に日欧からの観光客が大挙してやってきて、この国に膨大な外貨を落としていくようになった。
サイゴンから東にバスで3時間あまり。小さな漁村が点在するに過ぎなかったムイネーの浜辺は、近年、外国資本が入った一大リゾート地になった。北のニャチャンほどではないが、サイゴン近郊のビーチリゾートとして、ベトナム人および外国人観光客の人気を博しつつある。
ムイネー村とそれに隣り合ったファンティエットの町は、魚醤の産地というほか、町としては何の見処もない場所だ。浜辺沿いに一直線の往来が延びて、それに沿ってバンガローやミニホテルが建ち並んでいる。
往来でバイタクが頻りに声をかけてくるのは、サイゴンなど大都市と一般だが、その商売気においては比較にならぬほどの穏やかさだ。観光客が増えるにつれて、町の住民がスレてくるのはどの観光地も免れないが、ムイネーには、まだ古き良きベトナムが残っている。
宿の従業員や食堂のボーイなどの働きぶりは、働いているのだか遊んでいるのだか、ちょっと判断がつきかねるほどのんびりしている。が、そこに、アジアの田舎特有の鷹揚さがあって、骨休めに訪れた観光客にはかえって好もしく映る。
たまに来る観光客のわがままとは言え、この鷹揚さを、いつまでも失わずにいてほしいと思う。
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2005.09.08 Thursday
シトシト降り続く雨が、見上げるような街路樹の梢を濡らしている。南国はスコールがザッと降るくらいだろうと思っていたが、日本の梅雨のような、こんな雨もあるらしい。南国に似合わない灰色の重たい雲が、空一面を覆っている。
サイゴン到着の旅人が、まず出食わすのがタクシー運転手の攻勢だ。ひと昔前は、玄関前に運転手が雲霞のように待ち構えていて、相場の何倍の料金をせしめるべく客を奪い合っていたものだ。それも最近は専用の乗り場が設置されたとかで、それぞれ自分のタクシーに乗って、キチンと乗り場に整列している。
ほかの旅人の後について、僕も乗り場の列に並んで、まもなく車に乗り込んだ。車の窓から4年ぶりに眺めるサイゴンの街は、カラフルな建物やガラス張りの商店が増えて、全体がちょっと小奇麗になった感がある。樹齢何十年という並木の往来は、商業の町でありながら、この町に独特の趣を与えている。その往来を夥しいバイクの群れが流れる様子は、サイゴン名物たるに背かない。
運転手に法外な料金を請求されることもなく、僕は、安宿が集まるデタム通り辺で車を降りて、宿探しを始めた。4年前には薄暗かったこの通りの鮮やかなネオンに、サイゴンの4年分の進歩が輝いている。
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2005.09.07 Wednesday
このブログの親サイト『手紙』の中で、以前「インドシナ紀行」を連載したことがあります。本来はインドシナ半島全体を指す言葉ですが、4年前に行ったベトナム旅行で書いたものを、このタイトルで掲載したものです。
西インドの旅がご破算になって、さてどこの国に行こうかと考えて、最後に選んだのはベトナムでした。聞けば、この4年間でホーチミンの町は大変貌を遂げたと言います。大通り沿いには高いビルが林立し、ブティックやレストランがいたるところに開店した、あの煤ぼけた国営百貨店は、大改装を終えて華やかにオープンしたという噂です。
ベトナムは社会主義の国だが、そのイメージは大きく裏切られるだろうと、最新のガイドブックは予告しています。『ASIAN JAPANESE』の小林紀晴は、著書の中で「アジアの町は動、ヨーロッパの町は静」と言ってアジアの魅力を語りますが、最も激しく変わりつつあるのはベトナムかもしれません。
アジアの国々が、日本人には想像ができないほどのスピードで進歩していることなら、日頃のニュースで聞いています。その熱を体感するために、明日から、ホーチミンとメコンデルタの港町を歩いてきたいと思います。
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2005.09.05 Monday
いい米ときれいな水があるところには、旨い酒があるものです。日本の酒蔵は戦後だいぶ減ってしまいましたが、故郷月山の蔵はまだ健在。「一声」という銘柄で、創業から100年以上酒を造り続けています。最近代替わりして、若い蔵元が新しい酒造りに挑戦していると聞きました。
蔵王を望む川沿いの平地の岡を上ったところにある大きな屋敷。このあたりで「上田屋」と呼ばれる酒蔵は、今も昔の「旦那衆」の風情をたたえています。戦前の貧しい時代には、一族郎党みなこの屋敷で起居をともにしたそうで、僕の祖母は、この酒蔵から嫁に行きました。もともと、それぞれの土地にある酒蔵は、地域の由緒ある家が担ってきたのです。
あまり酒は飲めるほうではありませんが、ある時、利き酒講座に行ったことがありました。いろいろウンチクを聞いてみると、にわかに酒が解ったような気がして、地元に帰って祖父と晩酌をするのが楽しみになりました。山から採ってきた山菜や、漬物を肴にすれば、言うことはありません。
今やどこにいても日本中の酒が飲めますが、地元に帰ったら地元の酒に限ります。今日も「一声」で一杯やりながら、祖父と二人で語り合いたいと思います。
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2005.09.03 Saturday
「かぁちゃーん、かぁちゃーん!」
イカダに乗せられて奉公に出される少女が、全国のお茶の間の涙をさそったドラマ「おしん」。ある年代以上の人なら、ご記憶の人もいるでしょう。
僕の故郷は、おしんが生まれ育った故郷です。
新幹線が山形駅のホームに滑り込むと、花笠音頭のリズムが流れてきます。列車を降りて息を吸うと、都会とは違う新鮮な空気。とたんに、故郷に帰ってきたなぁという感慨がわいてきます。
山形県の真ん中に、月山(がっさん)という山があって、その麓に僕の故郷、西川町があります。月山は万年雪に覆われていて、その雪が地下にしみ込んでしみ込んで、400年経って湧き出した水で、僕は育ちました。東京の薬くさい水で暮らしていると、故郷の水のありがたさが、よくわかります。
月山は夏スキーのメッカ。スキー場開きをする4月半ばから7月末まで、日本中からスキーヤーが押し寄せます。朝に月山でスキーを楽しんで、昼に日本海で海水浴ができる日本で唯一の場所だと、東京でキャンペーンをしたこともありました。
今までたくさん旅をして、どこが一番良かったかと聞かれると、僕は真っ先に「故郷」と答えます。毎日雪に輝く月山を眺めて、うまい水を飲んで、山で採ってきた山菜を食べて暮らす。世界のどこに行っても、こんな贅沢はありません。
もう今は、おしんの時代のような苦労もありません。100年経った自分の故郷を見たら、おしんはどんな感想を漏らすだろうかと、月山を眺めながら想像しています。
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2005.09.02 Friday
この前の記事に、まっとうな書き込みをいただいたので、今日は言い訳を少々(笑)。
僕の職場の会議には、「運営要領」と称する台本があります。会議に台本があるなんて初耳ですよね。新人の時にこれを見たときは僕もびっくりしました。
「定刻となりましたので、ただいまから○○会を始めます。」という司会者の声を合図に、会議は台本どおりに始まります。
問題は、その先の「議事」。
議長「ただいま説明のありました議案第○号○○について、何かご異議はありますか」
−会場より「異議なし」の声−
というのが台本のセリフ。大事な会議なのだから、簡単にはすまないだろう、きっといろいろ意見が出るだろう、と皆さんは思うでしょう。あろうことことか、 それが全部「異議なし」で済んでしまうのです。
何の発言もなく議事が終わっても、「本日は熱心なご審議をいただき、ありがとうございました。」と、議長が最後に台本どおりのセリフを言って、会議は終わります。
ところで、意見は本当にないのかというと、やっぱりあるのです。意見が出そうなものは、出席する人たちにお伺いを立てておいて、修正を重ねて、全員に了解をもらって会議に出す。ですから、本番(?)の会議で勝手に異議を唱えると、「会議の円滑な運営」を妨げたと言われます。
程度の違いはありますが、お役所系の会議は、そんなやり方がまだまだ残っています。国会だって同じです。本当の話し合いは族議員が支配する与党の会議でやっていて、国会は多数決でお墨付きをもらうだけの場所。
だから、党で「了承」された郵政民営化法案に反対した自民党議員は、処罰されるんですね。
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2005.08.30 Tuesday
カカア殿下のふるさと、群馬の前橋に出張に行ってきました。普段は東京の永田町にいて、外に出ることはほとんどないのですが、今日はめったにない遠征。遠征といっても、会議に出て難しい顔をして座っていればいいんですが。
でも今日は、ひとつ大きなお役目が…。
お偉いさんが出席する会議で、お偉いさんの代理で出席して、お偉いさんのメッセージの代読を。何でお前のような若造が?と質問が飛んできそうですが、なに上司が逃げたのです。だって変なこと突っ込まれたら困るもの…とは言わなかったけれど、上司の顔にはそう書いてありました。
「代読」するメッセージは、今日のような場合、お偉いさんから預かってきたことになっていますが、何を隠そう(実はみんな知っていますが)僕が書いたものです。だから本当は代読じゃない(笑)。
今日のような、「○○協議会定例総会」というような会議は、初めからシナリオが決まっていて、全て「異議なし」で通ってしまいます。僕が担当でシナリオを作るときは、「異議なしの声」の文字まで入れる。「異議」が出そうな時は、事前に根回しをして問題を処理しておくのが普通です。これを称して、この世界では「会議の円滑な運営」と呼んでいます。
茶番じゃないかと言われそうですが、それなりに良いシステムなんですよ。誰も恥をかくことなく、人の話を聞かないホリエモンのような奴が突っ走ることもなく、「みんなで決めた」という極めて日本的な合意形成がはかれるのだから。ただ、事前の根回しが必要なところに、陰の黒幕が現れる要素はありますが…。
幸い妙なツッコミもなく、今日は無事お役目を果たしてくることがありました。
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2005.08.29 Monday
JR山手線の車両を降りると、駅のホームにおなじみのテーマ曲が流れます。「ちょっと贅沢なビール」の名前が、そのまま町の呼び名になった町。ビール好きには、ちょっと懐かしい響きのある町。
1889年に日本麦酒醸造会社が工場を建てて以来、恵比寿は日本のビール発祥の地として知られてきました。その工場は17年前に船橋に移転して、今は「恵比寿ガーデン・プレイス」が建っています。一時ほどの勢いはないけれど、敷地内にあるビアホールやオープンカフェは、この日も行列ができるほどの賑わいでした。
それにしても、この街はやけに外国人が多い。六本木のような場所は別として、これくらい外国人の歩く街を、僕は知りません。駅周辺には沖縄料理や韓国料理のお店が多くて、何となく異国的な雰囲気を漂わせています。
ガーデンプレイス周辺に建っている高層マンションを見上げて、ここにはどんな人が住むんだろうと、ふと僕は思いました。恵比寿といえば、雅子さまのご実家、目黒に隣合った町。きっと海外に行っても、安宿に泊まる必要のないクラスの人たちでしょう。
そのクラスに届くことは叶わずとも、勝ち組(!)の気分をつかの間でも味わいたい時は、ウェスティン・ホテルがオススメです。東京人気ホテルランキングで常に上位にランクされるこのホテルは、クラシックな雰囲気が絶品。17階のレストランから東京の夜景を眺めながら、いつもと違う週末を過ごすのも、たまにはいいものです。
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2005.08.27 Saturday
9月前半に予定していた西インド旅行が、飛行機の欠航でダメになってしまいました。
シンガポール乗り換えで、グジャラート州アーメダバードに向かう行程だったのですが、帰りのアーメダバード−シンガポール間のフライトが突然のキャンセル。旅にトラブルはつきものですが、飛行機のキャンセルは、さすがに予想外でした。
日本ではあまり耳にすることはありませんが、アーメダバードは400万人の人口を抱えるインド第5の都市です。イスラム教徒が多い町で、モスクなどのイスラム建築もよく見かけるとのこと。
ここから列車で4時間くらい北上したアーブ山という場所には、ヴィマラ・ヴァサヒー寺院と呼ばれるお寺があります。名著『インド建築案内』の中で、神谷武夫氏が絶賛するジャイナ教寺院。繊細な神々の彫刻が、天井や柱や壁にびっしり掘り込まれた様子は、まさに圧巻!何だか負け惜しみを言うようですが、いつか必ず見に行きたいと思います。
さて、西インドの旅は中止になりましたが、新たな計画はちゃんと用意してあります。その話はまた次回…。
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