2005.12.09 Friday
 12月第1週の日曜日の国立競技場。今年もラグビー早明戦を観戦に行きました。昼からの冷たい雨のせいもあって、スタンドの入りは7割たらず。最盛期には満員札止めが当たり前だった伝統の一戦にしては、ちょっと寂しい数字です。
 それでも、ゲームは早明戦らしい熱気に溢れた試合になりました。なのに、結果は40−3のワセダ圧勝。メイジは強いワセダ相手によく頑張ってここまでの試合にした、というのが大方の戦評です。
 それにしても、よく頑張ってこの点差。史上何番目かの大差の負けではありますが、早明戦の歴史に汚点を残すような結果にならなかっただけマシだというのが、メイジファンの本音です。少なくとも、がむしゃらに「前へ」の意気込みだけは見せてくれました。
 90年代はメイジの黄金時代で、僕の学生時代はワセダ相手に公式戦5勝1敗。それが2000年をさかいに、今年でついに6連敗です。小さいワセダFWが、ふた回りも大きいメイジの重戦車FWのプッシュを必死に耐える、というのが早明戦の醍醐味のひとつでしたが、今や立場が逆転。スクラムを組めばいつもワセダが圧倒して、かつての重戦車はズルズル後退するばかりです。スタンドからは、やっぱりダメか、という大きな溜息が漏れました。
 ワセダに劣らない良い選手ばかり集めてこれだけ勝てないのは、素人目には不思議なくらいです。試合後、ワセダの清宮監督は、数年来のライバルの低迷ぶりに「毎年観客が減るような早明戦では困る。しっかりしてほしい。」とコメントしたとやら。悔しいけれど、それが現実です。
 また、あの胃が持ち上げられるような、独特の緊張感のある試合が観たい。ファンは、何年も前から切望しています。
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2005.12.03 Saturday
 明日に迫りました、伝統の早明戦。「旅のすきま」のタイトルにかかわらず、今日もラグビーネタです。心配された天気は何とか曇りでこらえてくれそうですが、日が当たらないスタンドは寒くなりそう。その寒い中を、手に汗握ってジリジリしながら観るのが早明戦の醍醐味です。
 過去80回の対戦成績は、ワセダの44勝34敗2分け。この勝敗の数以上に、平均得点差がたったの2点あまりというところに、両軍がどれだけしのぎを削ってきたかが表われています。この試合だけは負けたくないと、どちらも意地と誇りをかけて戦います。
 早明戦は、実力伯仲同士の戦いとなるよりも、実力不均衡同士の戦いになる年のほうが多い。そして何より魅力なのは、劣勢の側が、善戦するどころか優勢の側を打ち負かしてしまうことが度々あることです。学生の頃、今年は圧勝してくれるだろうと観に行った試合は、いつも予想外の接戦。後半ロスタイムに逆転トライを食らったこともありました。
 実力が今年ほど離れた早明戦は、今までになかったかもしません。それだけに、スポーツ紙に見るメイジの練習には、ただならぬ悲壮感が漂っています。対するワセダは、早明戦初のスクラムトライを奪ってやると意気揚がっています。
 でもこんな時なのです。番狂わせが起こるのは−。伝統の一戦、今年はどんなドラマがあるのでしょうか。
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2005.11.30 Wednesday
 伝統の一戦まで、ついに1週間を切りました。12月第1週の日曜日を目前にした早明戦ウィーク。王者ワセダが実力通りに圧勝するか、重戦車メイジが歴史的な番狂わせを演じるか。泣いても笑っても、あと数日後の東京国立競技場で、決戦の幕があがります。
 27日の日曜日、本番を前にしたジュニアチーム同士の早明前哨戦がありました。結果はなんとワセダ66−0メイジの完封試合。メイジは、1軍メンバーを半分くらい投入して勢いに乗るはずが、悪夢の惨敗。ここ数年の実力の差が、そのまま出てしまいました。一軍を相手にする早明戦は、いったいどんな結果になるのか、ちょっと怖いような気もします。今年はNHKの全国放送を辞退したらどうだ、と心配する古いファンもいるようです。
 それでも、何が起きるか分からないのが早明戦。ひと昔前までは、遺書を書いて試合に向った選手もいた、というほど特別な試合です。その独特の雰囲気はスタンドにも充満して、ワン・プレーごとに山が崩れるような歓声が挙がる。ピッチ上の選手は、その声に押されて普段以上の力を発揮します。
 早明戦だけは、戦前の予想は当てになりません。
 目下、ワセダは対抗戦グループ35連勝中。前哨戦の結果といい、ここまでの成績といい、メイジが勝つのはちょっと容易ではなさそうです。それでも僕は今年もスタンドに足をはこびます。たとえ負けても、早明戦にふさわしい、熱のこもった試合が見たい。
 両軍の奮闘を期待します。
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2005.11.28 Monday
 靴を見に行こうと、よく晴れた日曜日、地下鉄外苑前駅で降りて原宿方面に向いました。東京に暮らして12年になりますが、この辺りは今までほとんど縁がなかった区域。ラグビーシーズンに秩父宮ラグビー場まで行って、有名な銀杏並木を歩いたことはありますが、その裏といえば裏、表といえば表にある青山から原宿一帯は、田舎者の僕にはちょっとなじみ難い雰囲気があります。
 靖国通りを青山の手前で右に折れて行くと、こじんまりとしたハイソな店が軒を連ねます。こんな裏通りに並ぶのは知る人ぞ知る店なのでしょうが、ブランド物などに興味にない僕のような貧乏人は、店員に気づかれない程度にウィンドウ・ショッピングをするのが関の山。お目当ての靴店までの道のりを、左右の風光を珍しがりながら歩いていきます。
 五木寛之ではありませんが、靴の専門店に行って、店員とあれこれ話しながら、試し履きをするのはいかにも楽しい時間です。今まで25.5cmだと思っていたサイズは、英国靴を履くには6ハーフすなわち25cmがジャストで、靴によっては6(24.5cm)でも良いというのは、30歳を過ぎて初めて知ったことです。これから10年以上は履こうという靴を買うのだから、楽んで選ばなきゃ損。それにしても、以外に小さいんだな<自分の足
 靴店を出て原宿駅に行く途中には、東郷神社がありました。日露戦争で名を馳せた東郷平八郎を祀った神社。現実にいた人が神様になったのだから大したものだと思ったけれど、同様の神社は明治神宮(明治天皇)、乃木神社(乃木希典)、日光東照宮(徳川家康)のように、ほかにもあります。思いつかないだけで、もっとたくさんあるはず。
 駅に抜けようと竹下通りを歩いたのは、中学生の時の修学旅行以来でした。十○年ぶりのことです(笑)。あの時入った店は、今何軒残っているのだろうか…。
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2005.11.25 Friday
 最近忙しさにかまけてブログの更新を怠っております。事務職なのですが、周りに比べて中途半端にパソコンができるものだから、無駄に忙しくなる(苦笑)。パソコンがないと仕事が動かない職場なのに、操作のイロハから知らない人が以外に多いのです…。なんで研修に行かせないんだろ、といつも思う。
 さて、そんなことはどうでもいいとして。まもなくボーナスの季節がやってきます。
 新人の時からほとんど増えてはいないものの、減らないだけ幸せだと自分に言い聞かせてもう7年目の冬になります。今年は何を買おうかと迷って、靴屋に行ったり、スーツを見に行ったりして、いまだ決められず。今日も週末だからと街を歩いて、ふとお気に入りの店に入りました。そこで偶然にもシャツの期間限定セール。半額で白のシャツを買いました。
 今はビジネスシーンもだいぶ自由になって、僕の職場でも30代以下の人で、昔ながらのゴワゴワした白いシャツを着る人はいなくなりました。やっぱりカラーシャツが多い。でも、カラーシャツをひと通り着て、ある程度の年齢になって戻ってくるのはやっぱり白シャツだと、僕は思います。白シャツを上手に着こなしてこそ本当のビジネスマン。
 縫製がしっかりした、綿100%のシャツで、襟が少し大きめのものを選べば、昔ながらの形状記憶シャツを着た人ばかりの中では十分にお洒落です。白シャツこそ少し値段のいいものを買うべき。シップスやアローズでは、バーゲンでも白シャツは最後まで残っているので、値段が下がりきったところで買いましょう(笑)。
 最近は忙しいから、ボーナスで買い物することばかり考えてるな…。もう少し旅人らしいこと書かないと(苦笑)。
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2005.11.21 Monday
 五木寛之の『知の休日』に、“靴と遊ぶ”という一章がありました。先週ここに書いたように、僕は靴にはちょっとこわだわる方で、著名人の靴に関するエッセイを見つけて読むことがあります。
 西洋靴は、ブカブカさせずに足にぴったり吸いつくように履くのがツウだといいます。安物ばかり履いていた足に、銀座あたりの靴屋でこれがジャストサイズだとすすめられた靴を履くと、革にビシッと縛りつけられたような感じがします。それだけに、靴にはいろんな形があることがよくわかります。
 五木寛之によると、日本人の足はもともと西洋靴には合わないのだそうです。農耕ばかりやってきた日本人には幅広甲高な足が多い。だから足の形が違うヨーロッパ人が作った靴は、日本人には向かないのだと。ヨーロッパと日本では気候もだいぶ違います。
 五木さんは、足に完全にフィットする靴よりも、少し遊びのある靴を好むとか。足に合わない靴は、どんなに高価でもガラクタに過ぎないと書いています。
 西洋靴でも、試着しているうちに、それほど縛られ感のない、心地良い靴に出逢うことがあります。長い時間履いても疲れない、それでいて足を包むようにフィットする。そんな靴はめったにないけれど、それを探すのは、何より楽しい時間です。
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2005.11.20 Sunday
 自陣ゴール前、敵ボールのスクラム。ボールが入った瞬間、かつての重戦車FWがジリジリと押されます。スタンドからは半ばあきらめのため息。1試合で2度のスクラムトライを奪われて、メイジは屈辱の40点差で敗戦を喫しました。
 高校日本代表クラスの選手を集めてこんなに勝てないのは、プロ野球の某球団を思い出させます。聞けば、大学も看板であるラグビー部の強化には力を入れています。それでも、ここ数年の低迷から復活する兆しは一向になし。ライバルのワセダにみるみる差をつけられるのは、ファンとしてもOBとしても歯痒い限りです。
 昔、メイジには北島忠治という監督がいました。「前へ」という名言で、60年以上重戦車を率いたカリスマ。その北島翁が亡くなって10年以上が経ちました。「オレの目の黒いうちに対戦成績を五分に戻せ」と言った早明戦の星の差は、ますます開くばかりです。
 師走第1週の日曜日、それでも早明戦はやってきます。今年81回目を迎える伝統の一戦。その日の国立競技場には魔物が棲むと言われて、何度も奇跡が起こった試合。王者ワセダに勝つのは難しくとも、せめて重戦車の意地を見たいものです。
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2005.11.17 Thursday
「動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし」と謳われた高杉晋作。
長州藩で騎兵隊を創った、幕末の英雄です。
散切り髪のブッキラ棒な顔をした写真が今に伝わる人物。
司馬遼太郎に『世に棲む日々』という作品があって、
この高杉と、松下村塾の吉田松蔭を描いています。
たった140〜150年くらい前の話なのに、
幕末の人物と現代の日本人にはあまりの違いがある。
司馬作品を読むと、それにいつも驚きます。
そもそも志を遂げるための覚悟がケタ外れ。
『世に棲む日々』には、ここで上手くいかなかったら
殺される(死ぬ)だろうという場面が目白押しです。
吉田松蔭は、実際そのために処刑されてしまう。
そんな幕末の有名無名の志士たちが、
明治維新の大事業を成し遂げたのです。
初めて海外に1人で旅に出かけた時、
自分では相当の覚悟をしたつもりでした。
幕末の志士ほどではないけれど、
覚悟を決めて行動したことは、のちのち貴重な財産になるように思います。
覚悟することから逃げないこと。
それを心がけたいものです。
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2005.11.15 Tuesday
 「恥じのおすそ分け」で指名されたスピーチの役目、何とか無事に終えてきました。順番になってみたら思ったより緊張もせず、だいたいリハーサルどおりに話を結ぶことができたのだから、まあ上出来かも。隠岐の島レポートとスピーチがほぼ同時に終わって、肩の荷が降りたような気分です。
 自分がスピーチをやる場になると、他の人がどんな風に喋るのか気になるものです。
 会社の上司は喋りなれてるけど、型通りの褒め言葉。女性の若い先生はいろんなエピソードも交えて上手に話す。新婦の元職場の友人は途中感極まって涙声。新郎友人は2人とも男でしたが、どちらもガチガチに緊張して紙を見ながら喋ってる。イザとなると、女性のほうが肚がすわるのでしょうか。
 さて、僕は新婦の友人(!)ということでスピーチに立ちました。旅人の面目にかけて、そしてジッチャンの名にかけて(笑)、原稿を読むようなスピーチはできないと、リハーサルを重ねて本番に臨んできました。
 話の呼吸を意識して聴衆の感動を誘う、なんて芸はもちろんないけれど、目立ったヘマもしなかったのだから贅沢は言えない。
 人前で喋るのは良い経験です。その人の人間性がそのまま出る。その人以上のもの、以下のものは出ない。普段から磨いておけ、ということです。
 もっと頑張らなきゃ!
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2005.11.14 Monday
 隠岐の島出張報告、脱稿しました。
 今月3日からの2泊3日の出張で見聞きしたことを5000字で書け。ただし〆切は11日の金曜日だと、なかば脅されて書いた出張報告です。
 このひと月、ブログの更新をさぼって泥縄式に調べたことをネタに、出張前にこっそり半分以上仕上げておいて、帰ってからの5日間で無理やり書き上げました。
 今まで頭の中の地図にはほとんど存在しなかった隠岐の島のことを、3週間で書くのはさすがに骨が折れました。こんな依頼をするのは自分が文章をよくしないからで、少しでも作文経験のある人なら、5日間で5000字がいかに無理な注文かがわかります。だいいち、時間をおいて読み直すことができません。
 タダで出すのは悔しいので、タイトルは「隠岐の島今昔記」としました。出張報告とは言い条、旅行記に近いものです(笑)。ただし、言葉には細心の注意を施して、社内の同僚からあらぬ非難を受けないようにしてあります。万一非難する者があったら、個人として書いたもので一社員として書いたものではないと反論するつもりです。
 それにしても、文章はやっぱり難しい。山本夏彦、長谷川如是閑、谷崎潤一郎など、日本語の師匠にはまだまだ遠く及ばない(当たり前ですが)と、今回の小稿を書いて思いました。
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