何という傲慢
2007.07.12 Thursday
近頃平日のゴールデンタイムに、ごみ捨て場で働くフィリピン人の子供の日常を追った番組がありました。観た人もいたんじゃないでしょうか。
両親は亡くなったか病気かで働けず、その息子兄妹が働くわずかな賃金が生活の糧。その貧しい生活に、スタジオに集まった芸能人もお茶の間の視聴者も、涙なしには観られないといった内容です。
両親は亡くなったか病気かで働けず、その息子兄妹が働くわずかな賃金が生活の糧。その貧しい生活に、スタジオに集まった芸能人もお茶の間の視聴者も、涙なしには観られないといった内容です。
確か去年も観たような気がしますが、この手の番組、僕にはどうも偽善としか思われません。
「進んだ国」に住む私たちが、「遅れた国」に住む彼らを哀れがるという趣向がまず気に入らない。豊かな国にいながらにして貧しい国の人々を可哀想だというのは、傲慢であると同時にとんだ思い違いでしかありません。
スタジオの芸能人は、「彼らの生活はこの世のものとは思えない」と言わんばかりの顔。でも、「この世のもの」でない暮らしをしているのは我ら日本人の方なのです。
1日1ドル以下で暮らす人は世界に12億以上、電気のない生活を送る人は16億以上。世界人口のそれぞれ5分の1以上、4分の1以上を数えます。
もちろん、日本人のような豊かな暮らしをする人はほんのわずか。日本人が「普通の生活」だと思っているのは、昔の王侯貴族も想像しなかった贅沢です。
豊かな私たちは皆々幸せで、貧しい彼らは皆々不幸せか。
この写真は、ネパールのカトマンズで出逢った子供たち。貧しい国にも、豊かな表情で暮らす人はたくさんいるのです。
Comments
20年くらい前のロンリープラネットにはパンのヘタが安いと書かれていたような気がします。
確かに日本は物価が高すぎですね。
話は変わりますが去年の旅の帰国のときに隣に座ったマレーシア人の旅行日程表をみしてもらいました。
1日目 関空1泊。
2日目 バスで京都に行って観光。
観光後静岡まで移動。
3日目 新幹線で東京まで移動。
そして浅草観光。
4日目 秋葉原で買い物。
5日目 帰国。
京都、新幹線、浅草、秋葉原を組み合わせたいいとこどりツアーでしょうか(笑)
でも、貧しい国の人は、貧しいなりに楽しさや喜びも感じながら生きているんだよね。日本だって昔はそうだったんです。戦前は真っ暗だったというけれど、楽しいこともたくさんあったと、祖父がよく言ってました。
彼らを高いところから見下ろして、「かわいそう」と言うことが大きな間違いだということは、僕ら旅人はみんな感じることですよね。
僕らに何ができるか、は確かに難しい問題ですが。。。
日本人が先進国の優越感に浸っているかぎりはこのような番組ができるのでしょうか。
テレビをあまり見ないので質問調になってしまいました。
とんぞーさんが思っている番組かどうかは分かりませんが、あの手の番組は似たり寄ったりでしょうね。
日本にだってほんの数十年前までは貧困があった。けれど、テレビのない時代、冷蔵庫のない時代、我らは毎日喜びもなく悲惨だったか、と言いたいのです。
その子とはこれと似たような話になることがあります。そのときその子がいった言葉で強く心に残っているものがあります。
「私はこの仕事が悲しいとか、辛いとか思わない。いやなことは多いけれど、どんな仕事も同じ。私はこれが仕事だから。一番辛いのはタイに帰らされること。だからそういう顔は必要ない」
はっとさせられました。そのときの私の顔は哀れんでいたのか、心配していたのか、どう見えたかわかりませんが、自分の浅はかさが悲しくなりました。わかったフリをしていただけなのだと。
世界の現状を知ることはとても大切なことだとは思います。そのための媒介として情報番組が及ぼす影響は大きいと思うからです。けれど、同じレベルに立ってモノを考え、発言することはそう簡単には出来ないのだとも思います。
私がその番組に仮に出たとして、顔に同情や、哀れみを出さずにコメントが出来るのか?わからない私は、まだまだ修行が足りません。
修行が足りないなんてとんでもない。yamaさんも、いろんな国を旅して体験してこられたんですよね。それで十分だと思います。テレビで見るのと現地で体験するのとは大違いだから。
豊かな日本にいると麻痺してしまいます。海外に出るたびに、人間は本来どんなふうに生きてきたかを、思い知らされる気がします。