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ご先祖様は生きている

「ご先祖様は生きている」というコラムを読んだことがあります。仏間の写真でしか知らないご先祖様がまさか生きているとは、ファミコン世代の僕には何ともピンとこない話です。産まれてこのかた肉親を亡くしたことがなくて、生きた先祖としか接したことがないのだから無理もないのですが、先日祖父を亡くした時、僕は、そのコラムの真髄がたちまち解った気がしました。
臨終の知らせを聞いてさっそく駆けつけて、敬愛する祖父の死顔を拝した時、「この体に祖父はいない」と、誰に言われるでもなく僕は直感したのです。前の晩、祖父は僕の眼前に横たわる肢体からすでに抜け出して、目に見えぬ姿となって、集まった親類縁者をどこか高いところから眺めているに違いない、湿っぽい表情ばかり居並ぶ屋敷を漂いながら、俺は暗い話は嫌いだと、あるいは苦い顔をしているのじゃないかと、想像したのです。

 祖父を亡くした僕に、「この度はお気の毒さま」「ご愁傷さま」と、皆さんお気遣いの言葉をかけるばかりか、腫れ物に触るような面持ちで話しかける人もしばしばです。その度に「痛み入ります」と言いながら、実は、いわゆる肉親を失った悲しみに打ちひしがれるという実感の薄いことを、僕は、我ながらけげんに思っています。その証拠に、数年間祖父の部下になって、今も町役場に勤める同級生の女子が「ほんとに可愛がってもらった」と泣き出すのを、「あまり悲しまないで」と慰めたくらいです。

 悲しむのは、もうあの人とは会って話すことも叶わない、と思うからです。永遠の別れだと思えば、悲しみの情が湧いて涙が止まらないのは人情です。
 しかし、僕にとっては永遠の別れどころでない、怠けた時などいつでも現れて、そんなことで俺が超えられるかと叱りつけること、祖父がこの世にいた時よりも頻りになるのではあるまいかと思っています。
祖父はまだ生きている、ただ姿を変えたのみだと、僕は気を締め直しています。
旅のすきま | comments (0) | trackbacks (0) admin

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