カノン・ストリートの駅を出ると、道向かいに鉄格子で厳重に囲った石が据えてある。これが有名な倫敦ストーンで、ローマ人が英国の元標として立てたものだ。その倫敦ストーンをシティーの一角に置いているのは、城壁に囲われたシティーが倫敦そのものだったからで、シティーは今も英国経済の中心として世界に知られている。
カノン・ストリート駅からキング・ウィリアム・ストリートに出て北に向うと、ローヤル・エクスチェンジの前に至る。イングランド銀行をはじめ、ビクトリア朝に建てられた建築群が並ぶ重厚な街並みは、大英帝国華やかなりし昔の面影を今に伝える。ピカディリー・サーカス辺りとは正反対の、一種緊張感を保った往来を、ビジネスマンが行き交うなどは、見逃しがたい倫敦的景色だ。皆センスアップされたシャツにネクタイで、いかにも紳士然としているのは、新橋辺のサラリーマンは雲泥の差がある。 英国紳士靴の老舗として知られるGharchが所々に店を構えていて、日本なら7万、8万という革靴を6割くらいの値で売っている。財布の底をはたいて、ようやく3万くらいの革靴を買って得意になっている僕のような田舎者は、シティーでは冷や汗をかかざるをえない。
今のシティーの基礎ができたのは、1666年の倫敦大火の後だ。ロンドン・ブリッジの方へ下っていくと大火記念塔という柱があるが、その近くのプディング横丁から出火した火事は、当時木造の建物が建ち並んでいたシティーを焼き尽くした。
大火後、件のクリストファー・レンとジョン・イーヴリンの両人が都市計画案を作成したりしてシティー再建に当たり、レンガと石でできた堂々たる街に生まれ変わった。レンの新築もしくは改築したものは、倫敦だけで五十余箇寺あるそうだが、その最も壮大なものが件のセント・ポールである。
シティーの伝統で、皇室の馬車が区内に入るときは、テンプル・バーと称する昔の境界で停車を要求されるのだそうな。僕のような平民は、みすぼらしい身なりで歩いていても咎める者もない。シティーの往来には、今も倫敦の平民主義が息づいている。
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