2004.06.12 Saturday
「上司にしたい人ランキング」というものが、毎年話題になります。星野仙一、長嶋茂雄、カルロス・ゴーン、北野武、フィリップ・トルシエ…。いずれも、それぞれの世界で強烈なリーダーシップを発揮した人が多いようです。
優れたリーダーとはどんな人を言うのか。いつかリーダーになるかもしれない(!?)自分も、時々それを考えることがあります。
『学問のすすめ』の中で、福澤諭吉は「世話の字の義」という一項を立て、「世話」という言葉には2つの意味があるといっています。ひとつは「指図」の意味。もうひとつは「保護」の意味。この2つの「世話」がバランスよく保たれて初めて、人間関係はうまくいくのだと。
指図することにばかり熱心で、保護することには一向無頓着なリーダーに、部下が従わないのは当たり前です。
海軍提督、山本五十六の言葉。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。」
褒めることはともかくとして、やってみせることもままならず、言って聞かせることさえいい加減で、させてみて上手くできなかった部下を、「出来が悪い」と責めるリーダーなど、信頼を得られるはずがありません。
せいぜい反面教師として、将来の自分の肥やしにする以外に使い道はない、と、思うのであります。
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2004.06.09 Wednesday
僕は、喫茶店で本を読むことを日課にしています。仕事が比較的早く終わることが多いので、6時半には地元の駅に到着、すぐ家には帰らずに喫茶店に入ります。駅前には3軒の某チェーン店があって、1時間半から2時間、じっくり本に没頭することができます。テレビのバラエティー番組も良いけれど、読書は、感性を豊かにする上でこれ以上有用なものはありません。
僕が本を選ぶ時に意識するのは、なるべく質の高い本を手にすること。現在は日々たくさんの本が出版されていて、本物とまがい物の区別がつきにくいものです。そんな時は、世に出されてから長い年月が経った「名作」と言われる本を選んでみましょう。長い間読み継がれた作品に、駄作ありません。
『五重塔』(岩波文庫)は、もちろん、名作のひとつに数えられる作品です。著者の幸田露伴は、明治??昭和の文豪。『声に出して読みたい日本語』の斎藤孝先生が「腰肚(こしはら)文化の家元的存在」と言う、明治人らしい人物です。
『五重塔』は、露伴の真骨頂が表れた文語体の美しい文章で、腰と肚のすわった力強さに惹きこまれてしまいます。さらに、登場人物たちの筋の通った立ち振る舞いが、物語をきりっと引き締めています。
『五重塔』を読んで、日本語の美しさを、改めて感じてみてください。
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2004.06.03 Thursday
この季節になると、いよいよ夏休みの計画を考え始めます。梅雨入り前から夏休みもないだろうという声が、ある方面から聞こえてきそうですが(笑)、夏休みは1人で外国に行く僕にとっては、これでも早すぎるということはありません。
まずは行き先を決めること。世界地図を前に、今までに行った国、昨今の地域情勢、当地の気候(南半球は季節が逆!)、などによって、行く地域を絞り込みます。
次に、航空チケットのチェック。これが以外に盲点で、例えば中東あたりだと、直行便はイランとトルコには飛んでいても、シリアやヨルダンは普通ヨーロッパ周りになります。同様に、中央アジアなら、直行便があるのはウズベキスタンのみで、周辺国に行くには相当な不便を強いられます。日本から真っ直ぐ行ける、サラリーマン向きの国(?)は意外に限られるのです。
目的地が決まったら、旅行会社で飛行機の空き状況を調べてもらいます。もし空きがあったら、その場で迷わず予約してしまいましょう。夏休みの時期は早めに席が埋まってしまうので、二の足を踏んでいると、タッチの差で逃すことがままあります。海を渡って外国へ行く、ということを思うと、そこで逡巡するのは無理もないのですが、コンビニに買い物にでも行くつもりで決めてしまうくらいのフットワークが必要です。
で、仕事が一段落した僕は、今年の夏休みを過ごす場所を早々に決めました。文豪三島由紀夫が「あの国は、生涯の中で行ける人と行けない人がいる」と言った、エネルギーに満ちた国。往復の航空チケットは確保したし、あとは、上司にちょっと長めの夏休みの許可をもらうだけ(笑)。
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2004.05.31 Monday
この4月で、1人暮らしを始めてから11年になります。大学に通うために上京して、もうすぐひと回り(苦笑)、実家にいた頃は、料理にはほとんど縁のなかった僕も、さすがにひと通りのメニュー(?)は作れるようになりました。まあ、独身男が作る料理なので、かなりアバウトではありますが…。
普段は焼きそばや雑炊でごまかす僕の、一番の得意料理は故郷の雑煮。僕の故郷は山形なので、僕が作る雑煮は豚肉と山菜でだしをとった、具沢山の雑煮です。論文執筆で帰省できなかった年の大晦日には、実家の祖母に材料を聞いて、スーパーに買出しに行ったものです。やっぱり、故郷の雑煮を食べないと正月は来ない、と思うところは「三つ子の魂百まで」ですよね。
僕は料理をすることは比較的好きなので、将来結婚しても(予定はありませんが)、時々台所に立って、家族の食卓を飾ってみたいと思います。でも、奥さんは、僕よりも料理の腕は上手であってほしいな。ま、あまり贅沢は言えませんが(笑)。
ちなみに、今日作った味噌煮込みうどんは、けっこう上手くできました。仕上げにキムチを入れると美味しいんだ。皆さんもぜひお試しを。
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2004.05.28 Friday
今回始まったエッセイコーナー、元々は、このサイトのある読者からの、僕が日常読んだ本の紹介をしてほしいとのリクエストがきっかけになりました。僕の読む本が、皆さんにとっても面白いかどうかはちょっと疑問ですが(笑)、時々、興味を惹かれた本の簡単な読後感を書いてみたいと思います。
で、今回はその第1回目。司馬遼太郎著『花神』(全3巻 新潮文庫)。主人公は、長州の大村益次郎、東京九段の護国神社に銅像が建つ、日本陸軍の創設者とされる人物です。
司馬氏は、「司馬史観」という言葉もあるくらいの偉大な歴史家ですが、この作品も、幕末・明治の激動期を、実務家、村田蔵六(大村益次郎)の視点から、無駄のない筆致で描いています。
司馬氏の作品で特徴的なのは、「余談」が多いこと。豊富な取材活動に支えられた「余談」が、作品を奥深いものにしています。名作『坂の上の雲』(全8巻 文春文庫)をはじめ、司馬氏の作品は、「歴史小説」というジャンルには、ちょっと収まりきらない重厚なものばかりです。
さて、この作品、ラストシーンがひときわ感動的です。明治二年、刺客に襲われて深い刀傷を負った蔵六は、弟子が経営する大阪の病院に運ばれます。そこへ、彼が生涯愛した唯一人の女性、イネが駆けつけました。横浜で産科病院を営んでいたイネに蔵六が言った言葉が、「あなたは産科ではないですか。」というのだったとやら。“産科医に刀傷は治せない”という、実務家らしいその言葉の裏には、愛する女性への万感の想いが込められていた、と、司馬氏は言っています。
最後にそんな幸福を得られた蔵六は、幸せな人生を全うできたのかもしれませんね。
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2004.05.25 Tuesday
「出逢い」に鈍感であってはいけません。最近、それを痛切に感じています。旅は出逢いの連続。たまたまバスが一緒だった。飛行機の席がたまたま隣だった。ボートを降りたメコン河の岸辺に、たまたま夕日を観に来ていた(笑)。全部偶然のようですが、旅人同士の敏感な心理は、それを想い出深い「出逢い」に変えてくれるものです。
旅の途中に限らず、「出逢い」は、日常にもたくさん転がっています。でも、日常の出逢いは、よほど注意していないと見過ごしてしまうことが多い、と思います。微かな兆し に、即座に反応する鋭いアンテナを張っておかなければ、貴重な出逢いをみすみす逃してしまいます。
論客・谷沢栄一は、その著書『回想 開高健』の最後に、「その、開高健が、逝った。以後の、私は、余生、である。」と記しました。二十歳過ぎに出逢って以来40年近くに及ぶ谷沢と開高の交流は、カミソリの上を歩くような、鋭敏な化学反応の連続です。出逢いは、出逢った後にそれを育てる作業があって初めて、生涯の出逢いとなりうるのです。
ちなみに、今は絶版となっている『回想 開高健』を僕に引き合わせてくれたのは、数年前にネパールで出逢った、僕の敬愛する旅仲間。僕にとっては、これからも長く育てていきたいと願う、出逢いのひとつです。
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2004.05.20 Thursday
この前、「奄美群島日本復帰五〇周年記念」と銘打って開かれた「田中一村展」に行ってきました。僕は絵画というものには今まで一切興味がなく、今回は、人生2回目の(笑)絵画展鑑賞です。ちなみに、1回目は去年。ロンドンのナショナル・ギャラリーで、天才ターナーとゴッホの向日葵に感激しました。
絵に疎い僕が言うのもなんですが、作品に、その描き手の人生が明瞭に表れるという画家はそれほどいないかもしれません。一村が奄美で描いた絵が発する生命感には、とにかく観る側が圧倒されずにはいられません。それもそのはず。彼は絵以外の一切を捨てて極貧の生活を続け、一旦絵絹に向かう時は、鳥肌を立て目をカッと見開いて筆を握っていたそうです。
奄美に渡ってからの一村の絵は、シンプルにして濃密。奄美以前の作品とは別人が描いたような趣です。50歳を過ぎてから奄美で暮らし、人生の純度が一気に高まったことがよく解ります。雑念ばかりで煮え切らない僕のような者は、まだまだハナタレ小僧だということを思い知らされて帰ってきました。
僕も何十年後かには、それ一個で人生を表すような仕事(絵ではないけれど)をやり遂げてみたいものです。
ちなみに、一村のことをもっと知りたい人には、小林照幸著『神を描いた男 田中一村』(中公文庫 一九九九年)を薦めます。それから、「田中一村展」は、この後横浜にもやって来ます。一村の強烈な作品群を、ぜひ体感してみてください。
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2004.05.16 Sunday
1週間前、今年も母の日がやってきました。僕は10年くらい前から、欠かさず母にプレゼントを贈っています。(一応言っておきますが、マザコンではありません(笑))10回目ともなると品選びも苦労するところですが、デパートの婦人服・小物売り場へ行けば、とびきりの営業スマイルをした店員さんが、豊富な品揃えで、哀れな貧乏息子を迎えてくれます。で、いろいろ見回った挙句、今年はバーバリーの小銭入れにしました。
「母の日にプレゼントなんて、HARUさんは親孝行だね」なんて、感心しているあなた!(そんな人いないか(^^;; )それは余計な感心です。10年前、母の日を前に失恋した僕は、「人に喜びを与えられる人間になろう」と思い立ちました。それじゃ身近なところから、ということで、日本橋三越で真珠(?)のネックレスを買ったのが最初なのです。ここだけの話だけれど、当初は「自分の彼女に贈るなら何にしようか」と思いながら、プレゼントを選んだものです。
でも、今や多くのファンを惹きつけるロックンローラー(いつの時代だ(笑))たちがギターを始めた理由を訊かれて、「女の子にモテたかったから」と言うのは、よく聞きますよね。動機は、往々にして不純なものです(笑)。
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2004.05.13 Thursday
このサイトでエッセイを書く企画が持ち上がったのは、実は4ヶ月くらい前のことです。(そうだったよね?HIROYO)で、その企画が遠くない将来に実現することを知りつつ、僕自身書くことを楽しみにしていたのですが、いざ実現してみると、なかなか書き出しが決まらない。というより、何を書くかが決められない。それは何故か、自分なりに考えてみたら、ひとつの答えらしきものが見つかりました。
「手紙」ではHIROYOに旅の話をするバックパッカーを演じればいいのに対して、ここでは自分そのものを書くしかないから、かもしれません。
外国での話は毎日が驚きに満ちているけれど、僕の日本での生活は、驚きの滅多にない平凡な時間の積み重ねにすぎません。そこから面白いエッセイなど捻り出せるだろうか、という迷いが、筆の進まない原因のようです。
ちなみに、僕は毎朝舞台に上がるような気持ちで玄関を出ます。で、職場では「役者」になりきる。(なかなか完璧にはいかないけれど)でなければ、何でも良い顔をして乗り切ることなんて、できるはずがありません(笑)。
職場という舞台から降りた僕が書くこのサイトは、もちろん舞台上の人たちに見せるわけにはいきません。でも、バックパッカーという舞台からも降りてしまった僕に、興味を示す人なんかいるのかと聞かれたら、やっぱり自身はありません(苦笑)。
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