2005.12.10 Saturday
久しぶりに休日ヒマがあったので、古代史シンポジウムに行ってきました。え?と言う声が聞こえてきそうですが(笑)。
僕はその昔(そんなに昔ではないけれど)日本の古代史を研究していた時期があって、今も時々所属していたゼミの飲み会に参加しています。今回は、コーディネーター役の恩師からCCのメールで案内状が届きました。
日本の古代史、といっても、歴史に興味のない人にはあまりピンと来ないかもしれません。いろいろ考え方はありますが、歴史が始まってから12世紀の末くらいまでの時期をそう呼んでいるようです。そうそう、「イイクニ創ろう鎌倉幕府」の前までですね(笑)。
古代史の話題で一番ポピュラーなのは、何と言っても邪馬台国問題でしょう。邪馬台国は果たしてどこにあったか、については長い長い論争があります。九州か近畿か、で決着がつかない。決定的な遺物でも発掘されない限り、多分これからもつかないでしょう。
でもそこが、古代史の魅力なのです。何といってもロマンがある。法隆寺に行ったら、1300年前の昔を想像して、同じ風景を見た古代人に想いを馳せる。歴史学は虚学だという人がいますが、ほんとはクリエイティブな学問なのです。 司馬作品がどれも面白いのはそこをしっかり伝えられているから、なのでしょうね。
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2005.11.28 Monday
靴を見に行こうと、よく晴れた日曜日、地下鉄外苑前駅で降りて原宿方面に向いました。東京に暮らして12年になりますが、この辺りは今までほとんど縁がなかった区域。ラグビーシーズンに秩父宮ラグビー場まで行って、有名な銀杏並木を歩いたことはありますが、その裏といえば裏、表といえば表にある青山から原宿一帯は、田舎者の僕にはちょっとなじみ難い雰囲気があります。
靖国通りを青山の手前で右に折れて行くと、こじんまりとしたハイソな店が軒を連ねます。こんな裏通りに並ぶのは知る人ぞ知る店なのでしょうが、ブランド物などに興味にない僕のような貧乏人は、店員に気づかれない程度にウィンドウ・ショッピングをするのが関の山。お目当ての靴店までの道のりを、左右の風光を珍しがりながら歩いていきます。
五木寛之ではありませんが、靴の専門店に行って、店員とあれこれ話しながら、試し履きをするのはいかにも楽しい時間です。今まで25.5cmだと思っていたサイズは、英国靴を履くには6ハーフすなわち25cmがジャストで、靴によっては6(24.5cm)でも良いというのは、30歳を過ぎて初めて知ったことです。これから10年以上は履こうという靴を買うのだから、楽んで選ばなきゃ損。それにしても、以外に小さいんだな<自分の足
靴店を出て原宿駅に行く途中には、東郷神社がありました。日露戦争で名を馳せた東郷平八郎を祀った神社。現実にいた人が神様になったのだから大したものだと思ったけれど、同様の神社は明治神宮(明治天皇)、乃木神社(乃木希典)、日光東照宮(徳川家康)のように、ほかにもあります。思いつかないだけで、もっとたくさんあるはず。
駅に抜けようと竹下通りを歩いたのは、中学生の時の修学旅行以来でした。十○年ぶりのことです(笑)。あの時入った店は、今何軒残っているのだろうか…。
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2005.11.14 Monday
隠岐の島出張報告、脱稿しました。
今月3日からの2泊3日の出張で見聞きしたことを5000字で書け。ただし〆切は11日の金曜日だと、なかば脅されて書いた出張報告です。
このひと月、ブログの更新をさぼって泥縄式に調べたことをネタに、出張前にこっそり半分以上仕上げておいて、帰ってからの5日間で無理やり書き上げました。
今まで頭の中の地図にはほとんど存在しなかった隠岐の島のことを、3週間で書くのはさすがに骨が折れました。こんな依頼をするのは自分が文章をよくしないからで、少しでも作文経験のある人なら、5日間で5000字がいかに無理な注文かがわかります。だいいち、時間をおいて読み直すことができません。
タダで出すのは悔しいので、タイトルは「隠岐の島今昔記」としました。出張報告とは言い条、旅行記に近いものです(笑)。ただし、言葉には細心の注意を施して、社内の同僚からあらぬ非難を受けないようにしてあります。万一非難する者があったら、個人として書いたもので一社員として書いたものではないと反論するつもりです。
それにしても、文章はやっぱり難しい。山本夏彦、長谷川如是閑、谷崎潤一郎など、日本語の師匠にはまだまだ遠く及ばない(当たり前ですが)と、今回の小稿を書いて思いました。
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2005.10.28 Friday
いろいろ立て込んでおります。
複数のことが舞い込むと他のことが手につかなくなるタチなので、ブログを書くのがなおざりになってしまう…。なるべく毎日更新しようと思いながら、今日は6日ぶりの更新です。
来月3日から5日に隠岐の島出張します。この間、そのレポートの執筆依頼が舞い込んできました。5日に帰ってきて、5000字でまとめて11日に提出しろとの無理な注文です。帰ってから書き出したのでは間に合わないし、隠岐の島のことは、その昔後鳥羽上皇が島流しにあった、くらいのことしか知らない。で、行く前にあらかた書いてしまえということで、(財)日本離島センター(http://www.nijinet.or.jp/)から借りてきた本数冊を、必要な箇所だけ斜め読みして書いてしています。それじゃ出張のレポートにならないのだけど(苦笑)。
隠岐は、島根県にある群島で、180以上の島々からなります。韓国と争っている竹島は、隠岐の島町の所属らしい。隠岐の島は、国境の地でもあるのですね。外国から自分の国を眺めるのと同じで、離島から日本を見るというのも面白い体験です。
それから隠岐は漁業の島でもあるので、魚がたらふく食べられそう。最近はイワガキの養殖が盛んで、ブランド化を目指しているのだとか。
ネタに困ったら(笑)、ここで隠岐の島レポートをアップしてみたいと思います。
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2005.10.05 Wednesday
いやいやながら通っているフィットネス・クラブ。会社の福利事業で年間契約をしていたので、無料でトレーニングをしていました。これが、9月末で許容ポイントが一杯に。みんな、あまり鍛えていそうにもないと思っていたので、何だか意外です。
で、住んでいる駅の近くに、最近新しくできたフィットネスクラブに、個人契約で通うことにしました。今までよりも大きなジムで、4階建ての建物すべてがトレーニング施設になっています。まだ見ていないけど、プールはいやに大きいのが2つ、エアロビクスなどをするスタジオも、3面くらいあります。
それにしても、施設が大きいだけに、お客の多さにはちょっと辟易。ランニングマシンなんか、15台くらいあるくせに順番待ちです。各種トレーニングマシンも、空いているものを探すのが大変です。
ジムに通う人がこれほどいるとは、いやいや行っている僕には不思議でなりません。健康を保つためには、決して安くない金とそれなりの時間をかける必要がある、ということでしょうか。
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2005.09.23 Friday
カトリーナの次はリタだそうです。女の子の名前ではありません。恐ろしいハリケーンのことです。カトリーナにやられたニューオーリンズの街を見ると、これがアメリカかと思うような光景です。死者の数はいまだに特定することができません。
日本も台風の通り道です。毎年いくつかの台風が列島を襲いますが、アメリカほどの被害は出ませんよね。昔は、伊勢湾台風をはじめ、ずいぶん被害の大きい災害があったと思うのですが、この差は何でしょう。
それは、きっとインフラが格段に進歩したからだと思います。個人の住宅も含めて。テレビでは、ダムはいらない、道路はいらない、橋はいらないという話ばかりですが、逆にインフラが全くなかったら、相次ぐ台風にどれだけの被害があったか分かりません。
最近読んだ塩野七生氏の本には、ローマ帝国を支えたのは、支配地域に張り巡らされた石畳の街道だったと書いてあります。(『ローマから日本が見える』(集英社))ちなみに日本のインフラについては、竹村公太郎氏の『土地の文明』(PHP研究所)が参考になります。
発展途上国を旅していると、日本がどんなに便利な国かがよく分かります。ムダはできるだけ無くさなければいけませんが、何がどこまで必要かを、しっかり考えなければいけないと、ハリケーンの映像を観て思いました。
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2005.09.02 Friday
この前の記事に、まっとうな書き込みをいただいたので、今日は言い訳を少々(笑)。
僕の職場の会議には、「運営要領」と称する台本があります。会議に台本があるなんて初耳ですよね。新人の時にこれを見たときは僕もびっくりしました。
「定刻となりましたので、ただいまから○○会を始めます。」という司会者の声を合図に、会議は台本どおりに始まります。
問題は、その先の「議事」。
議長「ただいま説明のありました議案第○号○○について、何かご異議はありますか」
−会場より「異議なし」の声−
というのが台本のセリフ。大事な会議なのだから、簡単にはすまないだろう、きっといろいろ意見が出るだろう、と皆さんは思うでしょう。あろうことことか、 それが全部「異議なし」で済んでしまうのです。
何の発言もなく議事が終わっても、「本日は熱心なご審議をいただき、ありがとうございました。」と、議長が最後に台本どおりのセリフを言って、会議は終わります。
ところで、意見は本当にないのかというと、やっぱりあるのです。意見が出そうなものは、出席する人たちにお伺いを立てておいて、修正を重ねて、全員に了解をもらって会議に出す。ですから、本番(?)の会議で勝手に異議を唱えると、「会議の円滑な運営」を妨げたと言われます。
程度の違いはありますが、お役所系の会議は、そんなやり方がまだまだ残っています。国会だって同じです。本当の話し合いは族議員が支配する与党の会議でやっていて、国会は多数決でお墨付きをもらうだけの場所。
だから、党で「了承」された郵政民営化法案に反対した自民党議員は、処罰されるんですね。
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2005.08.29 Monday
JR山手線の車両を降りると、駅のホームにおなじみのテーマ曲が流れます。「ちょっと贅沢なビール」の名前が、そのまま町の呼び名になった町。ビール好きには、ちょっと懐かしい響きのある町。
1889年に日本麦酒醸造会社が工場を建てて以来、恵比寿は日本のビール発祥の地として知られてきました。その工場は17年前に船橋に移転して、今は「恵比寿ガーデン・プレイス」が建っています。一時ほどの勢いはないけれど、敷地内にあるビアホールやオープンカフェは、この日も行列ができるほどの賑わいでした。
それにしても、この街はやけに外国人が多い。六本木のような場所は別として、これくらい外国人の歩く街を、僕は知りません。駅周辺には沖縄料理や韓国料理のお店が多くて、何となく異国的な雰囲気を漂わせています。
ガーデンプレイス周辺に建っている高層マンションを見上げて、ここにはどんな人が住むんだろうと、ふと僕は思いました。恵比寿といえば、雅子さまのご実家、目黒に隣合った町。きっと海外に行っても、安宿に泊まる必要のないクラスの人たちでしょう。
そのクラスに届くことは叶わずとも、勝ち組(!)の気分をつかの間でも味わいたい時は、ウェスティン・ホテルがオススメです。東京人気ホテルランキングで常に上位にランクされるこのホテルは、クラシックな雰囲気が絶品。17階のレストランから東京の夜景を眺めながら、いつもと違う週末を過ごすのも、たまにはいいものです。
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2005.08.24 Wednesday
スーパーの鮮魚売り場を眺めていて、真だこのパックに書かれた生産地に目がとまりました。インド洋のマグロとノルウェー産の鮭の横に、「モーリタニア産」と表示されたパック入りのたこが並んでいます。
調べてみたら、モーリタニアはモロッコや西サハラの南にある、アフリカの小国。貧乏旅行でいろんな国を見てきたつもりでも、世界に知らない国はまだまだあって、日本との意外な関係に驚くことがあります。
2000年の『imidas』別冊付録「ワールド・アトラス」によると、モーリタニアは人口258万人で面積は日本の2.7倍。ベルベル系モール人(!)とウォロフなどの黒人からなるイスラム教国だそうです。1人あたり国民総生産は日本のなんと1.1%、エネルギー消費量は2.5%というから、日本人には想像もつかない生活をしていることがわかります。さらに、非識字率は62.3%にのぼり、高等教育在学率は3.9%に低迷していることからは、将来も苦難を免れないだろうことがわかります。
そんなアフリカの小国にとって、千里の波頭を超えて、特産(に違いない)真だこを買ってくれる日本は、上客中の上客でしょう。それを食べる日本人が自分たちを知らなくとも、かの国には日本を知る人が少なくはないでしょう。
新聞やテレビは、外国といえば欧米のことしか言わないから、僕は好んで欧米以外の国に出かけます。それらの国には、新聞やテレビが報じない外国があって、初めて訪れた僕の耳目をいつも驚かします。
世界の中の日本と言うのなら、欧米以外のそれら無数の国々にも、少しは関心を向けたほうがいいと、僕は見ています。
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2005.08.21 Sunday
地下鉄銀座一丁目駅の階段を上って、時計で有名な和光ビルを目指して歩いていくと、カメラを片手に「ここは東京のシャンゼリゼだ…」とか何とか解説をしているフランス人とすれ違いました。歩行者天国で賑わう往来の真ん中で、大道音楽家がラテン風のリズムを奏で、道行く人の耳目を楽しませています。
何も予定がなければ、昼過ぎに家を出て銀座で読書、というのが、僕の休日の過ごし方。「銀座で読書」、というとキザに聞こえますが、何のことはない、学生時代に失恋をして、少しは男を磨こうと映画館に行くようになったのがきっかけです。失恋したおかげで、僕は20代のうちに数々の名作に出逢うことができました。銀座と映画は、僕にとっては切り離すことはできない存在です。
さて、銀座には「橋」のつく場所が多くあります。今は高速道路が通っている場所は江戸城の掘割だったところで、これに沿って、京橋、鍛冶橋、数寄屋橋…と、物語の舞台になった地名が並びます。銀座と京橋を隔てる首都高の下には、昭和30年代までここに架かっていた京橋の親柱が残っていて、昔の名残をとどめています。埋め立ててしまった堀割が今残っていたならば、銀座は水の街だったかもしれません。
今日は久しぶりに銀座を歩いて、喫茶店で往来を歩く人を眺めながら、落ち着いて読書をすることができました。僕にとっては、この上ない贅沢な休日になりました。
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