2004.08.24 Tuesday
旅に出かける前、日常と旅との間にはすきまがある、と書きました。それと同じように、旅から帰った後には、旅と日常との間にも、すきまが存在します。2日くらいかけて日常と旅のすきまを抜け出して、気持ちよく旅を続けて十数日間。たった十数日間の後に帰った日常に、旅人はすでに大きな懸隔を感じます。
日常と旅のすきまを抜け出す以上に、旅と日常のすきまを抜け出すのは難しいものです。もちろん、仕事をしていてこれほど危ないことはありません。帰国翌日にボンヤリしたまま出勤して上司に何か問われても、未だ旅と日常のすきまにある僕は、即座に回答することができません。体は職場にいても、心は半分、片雲の風に誘われて異国の地を歩いているのです。
日本では、旅と日常のすきまに嵌ったまま、給料取りは勤まりません。しかし、仕事以外の世界を持たない人に、あまり魅力的な人はいない、と僕は身の周りを見て感じています。給料取りにも感性が必要だ、と僕は内心思っています。
旅と日常のすきまを抜け出すどころか、この週末、僕は高熱で寝込んでしまいました。感性だとか言う前に、はやく社会復帰しなきゃ取り残されるぞ!と、朦朧とした意識の中で、誰かに言われた気がしています。
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2004.08.07 Saturday
インドの旅、といえば、すぐに思いつくのは鉄道です。インドは世界第2位の鉄道大国、営業線路網は総計6万3000キロ、駅の数は7100、1日の乗降客数は1300万人に上ります。昔植民地支配したイギリスが、インドにおける鉄道の基礎を築きました。
インドの列車にはいくつかの種類があります。一等席、二等席、またそれぞれにエアコン車、寝台車、というのが主なものです。一等席は快適ですが、趣味の点から言って二等席に乗ったほうが旅の醍醐味を味わうことができるでしょう。二等席にはインドの一般庶民が入れ替わり立ち替わり換わり乗ってくるうえに、さまざまな物売り、バクシーシを目当てにする乞食の類で大混雑を醸します。しかも二等車に乗る日本人は珍しいので、ジロジロ見られるのも、一種貴重な経験です。
一日、僕はタンジャヴールという町から、人に乗り換えのルートを訊きながら、マハーバリプラムという村までやってきました。ガイドブックには細かい情報がないので、地図を片手に人に訊いたほうが旅がしやすいということもあります。300キロ乗ってたったの200円、という安さも魅力のひとつです。
「世界の車窓から」を実地に経験してみたい人には、インドの鉄道が一番のお勧めです。
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2004.08.03 Tuesday
バスで6時間、マドゥライにやって来ました。ここは。カーニャクマリから230キロ北にある、南インド最大の聖地です。北のバラナシは、ガンガーの沐浴で日本でも知られていますが、南インドにおいて同様の地位にあるのが、ここマドゥライです。
マドゥライを聖地たらしめているのは、何といってもミーナクシ寺院。東西254メートル、南北238メートルの広大な寺域を持つヒンドゥー寺院で、16世紀にこの地を支配した王が建立しました。高さ50メートルを誇るゴプラム(塔門)が、東西南北にそびえ、境内には、金箔された高塔を伴う二つのヒンドゥー神殿があります。
昨日の夜、僕もミーナクシ寺院に参拝に行って来ました。入り口前にサンダルを預け、中に入ると、千柱堂という壮大な建築があり、その奥に50メートルプールほどの沐浴場、そして2つの神殿があります。寺院内は薄暗く、神秘的な空気が漂って、浅黒いインド人に混じりながら歩いていると、何だか、ヒンドゥーの神様に魂が抜かれてしまうような気になります。
町の雰囲気にも、120万の大都会らしい喧騒と、聖地に相応しい門前町の様相が渾然とししています。マドゥライは、インドらしい性格を持つ町のひとつかもしれません。
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2004.07.30 Friday
インドに着きました。一昨日まで当り前に働いていたのに、飛行機に15時間くらい乗ったら、あっという間に別世界。日本を遠く離れた場所なのに、遥々やって来たという気がしません。何だか騙されているような感じが、しないでもありません。
僕が今日列車に乗って着いた町は、インド最南端の町、カーニャクマリ。小さな海辺の田舎町ですが、インド人にとっては聖地のひとつとされ、巡礼に訪れる人が大勢います。
ここは、アラビア海とベンガル湾が出会うコモリン岬にあります。高い波にも拘わらず、インド人が沐浴をする風景が、夕方の浜辺に見られます。
この国がどんな国なのか、まだ、僕にはよく解りません。広大なインドを一言で語るなど所詮無理なことですが、今までに訪れた国のいずれとも違っているように感じます。日常と旅のすきまを抜け出した時、少しは解ることがあるかもしれません。
解ることがあるかどうかはともかく、南インドからの便りを、これからも書いていきたいと思います。<>hare.gif<><><><>
31<>カーニャクマリ名物<> ここカーニャクマリは、インドにある数多い聖地の中のひとつです。北緯8度線がすぐそこにある南の地で、椰子の森と海と太陽とバナナしかない、小さな村。道行く人の穏やかな表情が、実に印象的です。
カーニャクマリで一番の見物は、ベンガル湾から昇る朝日でしょう。この小さい村の、どこにこれだけの人がいたのかと思われるくらいの数が、浜辺のガートに押し寄せ、昇り来る太陽に手を合わせます。人は美しいものを見ると手を合わせたくなるのかもしれません。
また、南国だけにバナナの美味しさは格別です。今まで食べていたバナナは、果たして別の食べ物だったかと思うくらいの味。すでに腹の調子が思わしくない僕には、ありがたい南インド名物になりそうです。
これからもう一度海を眺めに行って、翌朝日の出を拝んだら、11時のバスで次の目的地へ向かいます。。
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2004.07.28 Wednesday
サラリーマンの宿命で、社会人になってから、僕は夏休みの限られた時間を利用して旅を続けています。旅ができるだけだけ恵まれている、とは思いますが、旅仲間と話した時などは、昔の自由を懐かしんで気儘が口をついて出てしまいます。学生の頃はと言えば、論文等で多少の制約はあったものの、比較的自由に計画を立てて、しっかり準備をして出かけたものです。
ここで言う準備、とは、心の準備のことです。サラリーマンは、ある意味で決まったスケジュールをこなしながら毎日を暮らすわけで、レールの上を走っていれば給料は確実にもらえる。その意味でラクに生活できる身分です。おまけに、日本は生活インフラが過剰なほどに整っているうえに基本的に治安は良好、国民の間には一定の相互信頼があります。
その日本で気楽に暮らす人間が、見知らぬ国に突然放り出された時の心境は、実に妙なものです。一人旅、特に発展途上国でのそれは、ある意味で毎日が“戦い”なのですが、人の心の持ち様は、そう簡単には変わらない。「日常」から「旅」へとシフトするまでの1日、2日の間、気持ちの中に、どうしても“すきま”ができるのです。何しろ、当地に降りた途端、旅行者のスキを窺う現地人が容赦なく攻撃を仕掛けてくるのだから、そんな時ほど、危険を感じることはありません。
今回も、心の準備は一向に整わないまま、明日から僕は南インドに出かけます。このコーナーは、「旅と旅の間に横たわる日常」を書いていくエッセイですが、しばらくの間、「旅の中のすきま」を、インドからレポートしたいと思います。
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2004.07.24 Saturday
名コラムニスト山本夏彦は、その昔、「PR」という言葉を「自慢話」または「自画自賛」と訳したものです。言うまでもなく、「PR」は「パブリック・リレーションズ」の略、すなわち「宣伝活動」「広報活動」と、辞書には出ていますが、夏彦翁の訳は、実に云い得て妙、というほかありません。
日常、世間で行われる「PR」の中に、自らの卑下に終始したものはありません。電車の中吊りで見る雑誌の広告は、何れも面白い読み物のように見えるし、テレビコマーシャルで有名人がビールを飲めば、いかにも美味しそうに映ります。
世の中は、「PR」に溢れています。
ところで、僕は、「PR」??「自慢話」が不得意、というよりも、好きではありません。父親は、口癖のように「不言実行」「能ある鷹は爪を隠す」と云って、小さい頃から僕に諭してきました。自画自賛しなくとも、見ている人は必ず見ているものだ、と。したがって、およそ中身が伴わないのに、すぐに「PR」したがる心情を、僕は好みません。
とはいいながら、黙っていても常に認めてくれるほど、世間は甘くないのも事実。誰しも「PR」に余念のないこの社会では、適度の自己主張がなければ埋もれてしまうことも、ままあるものです。
で、僕は、折々勃然と思い立って、自分が嫌いにならない程度の「PR」を催すのです。
このサイトも、そんな「PR」の一種かもしれません。世間一般の「PR」に堕落しないよう、努めていきたいと思います。
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2004.06.23 Wednesday
ものを書く、つまり「アウトプット」することの裏側には、通常それに匹敵するだけの「インプット」の作業があるものです。身近なところでは、読書や映画鑑賞、友人との会話、あるいは散歩などなど。身近なところから離れれば、旅やフィールドワークは立派な「インプット」になり得ます。
「アウトプット」はものを書くことに限りませんが、ともかく、何らかの有益な「アウトプット」ができるようになりたいと思ったら、それに倍する「インプット」に意を用いる必要があります。
最近僕が注目しているジャーナリストの日垣隆氏は、徹底した現地取材に加えて、一月に120冊(!)もの本を読むそうです。なるほど、日垣氏の著作やテレビでのコメントを聞いていると、いちいち肯かされてしまいます。まあ、読書量に限っても、せいぜい氏の15分の1に過ぎない僕が、最初から叶うはずがないのですが(笑)。
次回からここで連載する「奄美紀行」は、2泊3日の現地調査と5,6冊の読書という「インプット」から産まれたものです。活字にして人様に読んでもらうには、あまりにお粗末な「インプット」の内容ですが、お金は取らないので、どうか勘弁してもらいたいと思います(笑)。
それでも、職場内での評判は、まあまあなんですよ(^^ゞ
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2004.06.21 Monday
故郷に帰る度に、あることに気がつきます。夜は暗い、ということです。当たり前じゃないか!なんて言わないでください。これは、都会に住んでいると意外に解らないものです。都市生活で、自動販売機の明るさに目を奪われる、ということはあまりないですよね。それだけ都会の夜は明るいのです。
数年前にラオスを旅した時のこと。僕が宿を取ったメコン河沿いの小さな村は、生活に使う電気を自家発電で賄っていました。もちろん電気は貴重品、ということで、8時には消灯。都会生活に慣れた旅人といえども、自然の闇には手も足も出ず、翌朝ニワトリの鳴き声で目覚めるまで、おとなしく眠っているしかありませんでした。
もともと暗いはずの夜を明るく照らして、人間が活動する時間を拡大した、というのは、確かに画期的なことです。でも、日常の生活から夜の闇を取り去ってしまうのは、もったいないことです。遺伝子工学の権威、村上和雄氏(筑波大学名誉教授)は、「大発見のきっかけは、しばしば夜の闇の中での閃きによるものだ」と言っています。村上氏の言う「ナイト・サイエンス」は、夜の闇があるからこそ生まれるものなのです。
そういえば、昼間のような明るい場所だったら、あんなことは言えなかったかもしれない、ということが、僕にもないではありません(笑)。それも、「ナイト・サイエンス」の賜物かもしれませんね。
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2004.06.15 Tuesday
小中学生の頃、作文の時間はいつも憂鬱でした。本はそこそこ読む方なのけれど、文章を書くのはどちらかというと苦手。夏休みの読書感想文の宿題などは、最後の最後に悪戦苦闘した思い出があります。原稿用紙がなかなか埋まらない時の重苦しさ、皆さんも経験があるのではないでしょうか。
文章を書く、ということへの意識が変わったのは大学1年の時。教養を深めようと肩肘を張って(苦笑)、福澤諭吉『学問のすすめ』を読んでからです。福澤の明快で強烈な主張を読んで衝撃を受けたことと、それに啓蒙された明治の日本人がついに近代国家を創ったことに感銘を受けて、いつか自分もこんな著作を世に出してみたい、などど無謀な(笑)夢を抱いたのがきっかけです。今思うと、文を書くスキルさえお粗末なのにそんなことを考えるあたり、「自分も若かったなぁ」と、ちょっと恥ずかしい思いがします。
その僕が、最近、自分の作品を発表する機会がありました(照)。まあ、発表といっても、僕の職場で、全国の関係者向けに発行する機関誌なのですが。。。(もちろん非売品)その機関誌に、3月の奄美大島出張を題材に8000字くらいののレポートを書いて、ささやかな「夢実現」の運びとなりました。
まだまだ福澤にはおよびませんが(笑)、僕の記念すべきデビュー作を「ぜひ読みたい!」という奇特な人がいたら、ぜひご一報を! …って、誰もいなかったりして(^^;;
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2004.06.12 Saturday
「上司にしたい人ランキング」というものが、毎年話題になります。星野仙一、長嶋茂雄、カルロス・ゴーン、北野武、フィリップ・トルシエ…。いずれも、それぞれの世界で強烈なリーダーシップを発揮した人が多いようです。
優れたリーダーとはどんな人を言うのか。いつかリーダーになるかもしれない(!?)自分も、時々それを考えることがあります。
『学問のすすめ』の中で、福澤諭吉は「世話の字の義」という一項を立て、「世話」という言葉には2つの意味があるといっています。ひとつは「指図」の意味。もうひとつは「保護」の意味。この2つの「世話」がバランスよく保たれて初めて、人間関係はうまくいくのだと。
指図することにばかり熱心で、保護することには一向無頓着なリーダーに、部下が従わないのは当たり前です。
海軍提督、山本五十六の言葉。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。」
褒めることはともかくとして、やってみせることもままならず、言って聞かせることさえいい加減で、させてみて上手くできなかった部下を、「出来が悪い」と責めるリーダーなど、信頼を得られるはずがありません。
せいぜい反面教師として、将来の自分の肥やしにする以外に使い道はない、と、思うのであります。
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