2004.10.21 Thursday
僕の向かいの席に座る女性職員は、父親が作った弁当を持って出勤してきます。彼女は、僕よりも4、5歳若いばかりですから、父親はまだまだ現役。出勤前に妻と娘の朝食を作り、弁当まで持たせて家を出て行くという、女性には羨ましいような父親です。
今年で1人暮らし11年目の僕は、料理をするのはどちらかという好きな方です。結婚してからも、週に何度かは、家族に夕食を振舞ってみたいとも思っています。男子が厨房に入ることは、今の時代大いに推奨されるべきで、それなりのレパートリーを身につけるのは男の嗜みだと、すでに結婚した同期の仲間にも主張しています。
しかし、父親お手製の弁当を美味しそうに食べながら、「結婚する相手は料理が上手な人じゃなきゃダメ」という彼女の感覚に、僕は首を傾げています。疑問を感じたのは、パートナーに料理の腕前を求めることに対してではありません。キャリア・ウーマン志向ではない彼女が、やがて子を持つ母親になったとき、厨房での主役の座まであっさり放棄するのではないかと疑うからです。
大正生まれの祖母からもらったいちばんの愛情は、忘れ得ない「お袋の味」にあったと、僕は思っています。だから、自分の子供にも、母親が作る「お袋の味」を与えてやりたいと願うのです。
祖母は、戦時中に祖父と結婚。我儘な夫と姑に散々苦しめられ、我慢の連続だったと、僕に語ってきました。「お袋の味」は大事だけれど、未来の妻になる人に、そんな思いはさせたくないものだと、僕は2つの願望のはざまで悩んでいます。
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2004.10.10 Sunday
対馬にやってきました。今回は旅ではなく、仕事での訪問です。今までは九州さえも来たことがなかったのですが、いきなり対馬を訪れることになろうとは、分からないものです。
対馬がどこの県に属しているかさえ知らない人は、意外に多いと思います。その大きさの割に、沖縄や屋久島のように派手さがないせいかもしれません。しかし、内容は実に興味深いものです。
対馬は、韓国に最も近い島だ!というのが、この島に降りた立った時の、僕の最初の感想です。福岡まで150キロ、釜山までは50キロ、というのですから、それは当たり前のことかもしれません。島内で一番大きい厳原の町を歩いてみると、ハングルの看板も多く見かけます。韓国とは毎日高速船で結ばれている、という事実も、余所者には意外なようですが、地元の人には日常の事実に過ぎません。この島の西海岸の方からは、天気が良ければ釜山の町が建物まではっきり見ることもできるのです。
その近い韓国からやってくるのは、何も人だけではありません。低気圧が過ぎた後には、対馬暖流に乗って、たくさんのごみまでもが押し寄せるのです。
僕は今日の午後、ボランティアの一員として島中央部の入り江で清掃作業に参加したのですが、海岸に打ち寄せたごみの量たるや実に膨大。ペットボトルや様々な漁具、流木、発砲スチロールなどで地面が埋め尽くされています。日韓合わせて60人ほどが1時間半かけて作業をしても、塵ひとつ残らず、という訳には行かないほど、拾っても拾っても、ごみはなくなりませんでした。。
ハングル文字の刻印されたごみを拾いながら、韓国がすぐ隣りの国であることを、初めて実感したような気がしています。
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2004.10.10 Sunday
対馬にやってきました。今回は旅ではなく、仕事での訪問です。今までは九州さえも来たことがなかったのですが、いきなり対馬を訪れることになろうとは、分からないものです。
対馬がどこの県に属しているかさえ知らない人は、意外に多いと思います。その大きさの割に、沖縄や屋久島のように派手さがないせいかもしれません。しかし、内容は実に興味深いものです。
対馬は、韓国に最も近い島だ!というのが、この島に降りた立った時の、僕の最初の感想です。福岡まで150キロ、釜山までは50キロ、というのですから、それは当たり前のことかもしれません。島内で一番大きい厳原の町を歩いてみると、ハングルの看板も多く見かけます。韓国とは毎日高速船で結ばれている、という事実も、余所者には意外なようですが、地元の人には日常の事実に過ぎません。この島の西海岸の方からは、天気が良ければ釜山の町が建物まではっきり見ることもできるのです。
その近い韓国からやってくるのは、何も人だけではありません。低気圧が過ぎた後には、対馬暖流に乗って、たくさんのごみまでもが押し寄せるのです。
僕は今日の午後、ボランティアの一員として島中央部の入り江で清掃作業に参加したのですが、海岸に打ち寄せたごみの量たるや実に膨大。ペットボトルや様々な漁具、流木、発砲スチロールなどで地面が埋め尽くされています。日韓合わせて60人ほどが1時間半かけて作業をしても、塵ひとつ残らず、という訳には行かないほど、拾っても拾っても、ごみはなくなりませんでした。。
ハングル文字の刻印されたごみを拾いながら、韓国がすぐ隣りの国であることを、初めて実感したような気がしています。
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2004.10.05 Tuesday
シアトル・マリナーズのイチロー選手が、ついに大リーグ記録を塗り替えました。159試合目に達成した258安打。実に大リーグ84年ぶりの快挙だそうです。ブラウン管を通して観る、その瞬間のグラウンドの光景や観客席の反応は、まさに感動的。ヘルメットを掲げるイチロー選手の姿は、テレビの前の僕まで、何だか誇らしい気持ちにさせてくれました。
少年時代は、僕もまたイチロー選手と同じ、無類の野球少年でした。近所の仲間達と、毎日暗くなるまで野球に明け暮れた日々を、今も時々懐かしく思い出します。その当時は王選手に憧れて、「自分もいつか巨人軍の4番バッターになる!」と意気込んでいたものです。
それから何年も経たない15歳の夏、僕は早々に才能の限界を悟って野球人生に終止符を打ったわけですが(早っ)、巨人軍の4番バッターの座は、同い年の松井選手が務めることになりました。その松井選手は、今やニューヨーク・ヤンキースの4番打者に君臨しています。
さて、イチロー選手は、記録を達成した試合後のインタビューで、「小さなことの積み重ねが、とんでもない記録につながる」と、晴れ晴れとした表情で語っています。誰にもできる小さな努力を、ただ地道に積み重ねた結果が、84年の間、誰にも成しえなかった記録の更新に繋がったのです。
松井選手の座右の銘は、「努力できることが才能である」だそうです。同い年の松井君や、ひとつ年上のイチローさんにできたことが、自分にできないはずはない、と、彼らの活躍を観ながら僕は思っています。幸い、小さなことを積み重ねることは僕の性に合っています。
あ、今から野球選手になろうっていうつもりはないですよ(笑)。
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2004.10.05 Tuesday
シアトル・マリナーズのイチロー選手が、ついに大リーグ記録を塗り替えました。159試合目に達成した258安打。実に大リーグ84年ぶりの快挙だそうです。ブラウン管を通して観る、その瞬間のグラウンドの光景や観客席の反応は、まさに感動的。ヘルメットを掲げるイチロー選手の姿は、テレビの前の僕まで、何だか誇らしい気持ちにさせてくれました。
少年時代は、僕もまたイチロー選手と同じ、無類の野球少年でした。近所の仲間達と、毎日暗くなるまで野球に明け暮れた日々を、今も時々懐かしく思い出します。その当時は王選手に憧れて、「自分もいつか巨人軍の4番バッターになる!」と意気込んでいたものです。
それから何年も経たない15歳の夏、僕は早々に才能の限界を悟って野球人生に終止符を打ったわけですが(早っ)、巨人軍の4番バッターの座は、同い年の松井選手が務めることになりました。その松井選手は、今やニューヨーク・ヤンキースの4番打者に君臨しています。
さて、イチロー選手は、記録を達成した試合後のインタビューで、「小さなことの積み重ねが、とんでもない記録につながる」と、晴れ晴れとした表情で語っています。誰にもできる小さな努力を、ただ地道に積み重ねた結果が、84年の間、誰にも成しえなかった記録の更新に繋がったのです。
松井選手の座右の銘は、「努力できることが才能である」だそうです。同い年の松井君や、ひとつ年上のイチローさんにできたことが、自分にできないはずはない、と、彼らの活躍を観ながら僕は思っています。幸い、小さなことを積み重ねることは僕の性に合っています。
あ、今から野球選手になろうっていうつもりはないですよ(笑)。
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2004.09.25 Saturday
最近、『理科系の作文技術』(木下是雄著 中公新書)という本を読みました。この本は初版が1981年。新書としては、かなりのロングセラーです。文章技術に関する著作は、近年になって、書店でも目につくようになりました。しかし、僕がそれらのいずれでもない、20年以上も前に出された木下氏の本を手にしたのは、山本夏彦翁の紹介(『完本 文語文』(中公文庫))によってです。
「友人というものに死人も生人もない」と、夏彦翁は言います。この言葉を遺した夏彦翁も、すでに2年ほど前に鬼籍に入っていますが、僕が翁と知り合ったのは今年になってからです。ちなみに、夏彦翁を僕に紹介したのは、今をときめく養老孟司氏(『養老孟司の〈逆さメガネ〉』(PHP新書))。その養老氏とは、彼の講演会で、講師と聴講者という立場で知り合いました。
夏彦翁の言葉に従えば、今、大河ドラマで活躍中の近藤勇や西郷隆盛、坂本龍馬などは、僕にとっては旧知の間柄です。まして、織田信長、足利尊氏、武蔵坊弁慶、聖徳太子といった面々は、幼い頃から共に育った“竹馬の友”といっていいでしょう。中学高校の頃、試験勉強の息抜きには歴史本を読むほどの歴史好きだった僕には、生きた友人よりも死んだ友人の方が、あるいは多いかもしれません。
『完本 文語文』の中で、夏彦翁は、僕が学生時代に出逢った中江兆民を盛んに推奨しています。若年以来、兆民とは音信不通になっていたのですが、夏彦翁の仲立ちで、晩年の著書『一年有半』(岩波文庫)を読み直しています。ついでに、兆民の弟子の幸徳秋水とも、この際、僕は友人になりたいと思っています。
ことほどさように、読書は、過去に新しい友人を探す旅でもあります。次なる出逢いに期待を膨らませて、今日も、僕は行きつけの本屋に足をはこびます。
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2004.09.13 Monday
この週末、結婚式の2次会に行ってきました。20代後半から30歳にかけての期間は、誰でも結婚式へ招かれる機会が増えるもので、一般に、式が終わった後の2次会は、独身の男女にとっては出逢いの場、と言われるようです。しかし現実には、出席者全員が良い思いをするとは限りません。
こういう場で俄然スポットライトを浴びるのは、どこの集団にも必ず1人くらいはいる、宴会部長的な芸達者です。大抵は声の大きい人が多いように思いますが、彼らの能力はそれに止まらず、絶妙の間と多彩な芸で観客を惹きつけます。僕のように芸のない人間から眺めると、努力しても絶対に手にできないあの種の才能は、羨ましいと言う外ありません。
ところで、僕は、人前で芸を披露するどころか、結婚式のような場で雛壇に座ることさえ嫌いなタチです。以前ここでも書いたように、「PR」することは大の苦手。自ら手を挙げて目立つ振る舞いをすることは、ほとんど嫌悪するくらいですから、宴席で芸を催すなどは思いもよりません。ビンゴゲームがあっても、人前で何か言わされるなら、ハズレることを内心望んでしまいます。
それでも、未だ独身の僕が、将来、自分の結婚式で何か演じざるを得ない場面に追い込まれることは、事実ありうることです。その時は、いくら嫌でも雛壇に座って、衆目の的になることは避けられないでしょう。結婚式の主役は花嫁なのだから、お前の都合は関係ない、と叱られそうですが、式をやるときは身内でこっそり済ませたいものだと、まだ花嫁も決まっていないうちから、僕は密かに願っています。
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2004.09.11 Saturday
近頃よく売れている集英社新書『上司は思いつきでものを言う』を、思いつきで買ってきました。その前に読んでいたのが、何だか難しい本だったので、骨休めも兼ねてのチョイスです。
上司の思いつき発言に振り回される部下は、世の中にたくさんいます。かく言う僕は、「今仕えている上司の発言は単なる思いつきでもないらしい」、ということが去年くらいに判って、あまり振り回されずに済んでいます。しかし、今後「思いつきでものを言う上司」にぶつかったり、自分が上司になったりするのは確実なのですから、その心理を考えるのも面白いと思います。
この本の中で著者が主張する、「上司が部下であるあなたの企画を“思いつき”で拒否した時、あなたは「その場で呆れる」べきだ」という考えは、実に卓見だと思いました。
「上司の面前で呆れる」ことは、「上司をバカにすること」につながるので、サラリーマンには中々できないことです。それをやってみるのは、確かに効果的な自己表現かも知れません。
ちなみに、「上司に思いつき発言で拒否されたとき」、僕の場合は内心「しまった」という思いが先にきます。上司にはそれぞれツボがあって、それを読んだ上で企画を出せば、必ず通るはずだからです。突き返されたということは、そのツボを読み切れなかったということです。相手のツボを読んで、舞台で演じるようなつもりで立ち回るのが、会社で上手く泳ぐコツだと、僕は思っています。
ところで、「上司が思いつきでものを言う」のは、部下を信頼していないから、である場合が多いのを忘れてはいけません。人を信頼して任せきるのは意外に難しいのです。信頼を自分で勝ち取って、常に相手を納得させるくらいになれば本物です。
「バカな上司だ」、と愚痴を言う前に、自分が「バカな部下」でないかに、思いを致すべきです。
「バカな上司」に仕える自分が「賢い部下」であることが確かなら、大げさに呆れてみるのも、良いかもしれません
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2004.09.03 Friday
10日前に、三十歳になりました。二十代のうちは、三十代を迎えることなど想像がつかないものですが、“その時”は、本人も知らぬ間に、何ともあっけなく訪れるものです。この間まで学生だったのに、と嘆いてみても、時間は元には戻りません。
「三十路」という言葉は、あまり良い意味で使われることはないでしょう。より若い者が三十歳を過ぎた者を揶揄するとき。また、もはや若くない(?)年齢に達した自身を自嘲して云うとき。少なくとも、青年から壮年に移る一つの節目であることに変わりはありません。
三十歳の僕は、これまでの十年を振り返ります。自分は、然るべき二十代を過ごしてきたのかと。
十数カ国をひとりで歩いてきたり、600本を超える映画を観たり、それ以上の本を読んだり。人がやらないことも随分経験した二十代だったように思いますが、今それ以上に心に浮かぶのは、これまでの十年でできなかったことの数々です。酔いつぶれて前後不覚に陥った経験はなし、髪を金髪にしたこもなし、身の周りの整理はついに苦手なままです。それに、女性の扱いはお世辞にも上手いとは言えません(苦笑)。
誕生日の晩、布団の中で、二度と戻らない二十代を想い、来たるべき三十代を頭に描きました。過ぎた十年は何物にも替えがたい十年ですが、これからの十年は、一生の内でさらに重い十年となるに違いないと思いました。ここで怠けたら碌な将来にならぬこと、身の回りの生きた標本が教えてくれています。
刻苦勉励、常に研鑽を怠らず、はちょっと大袈裟ですが、とにかく魅力溢れる大人になりたいものです。少なくとも、ここで感傷的になっている場合ではありません(笑)。
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2004.08.31 Tuesday
夕方、東京霞ヶ関の、さる中央官僚を訪ねました。仕事柄、霞ヶ関の官僚と接することは多いのですが、彼は、僕の個人的な知己の中でも、特別に地位の高い人です。世に云う○○省高官というやつです。
僕のような若僧が、どうしてそんな御仁と付き合いがあるのか。それは、僕が特別に仕事ができるから、では、断じてありません(苦笑)。勿論、賄賂を使ったわけでもありません。
同氏は、○○省高官という肩書きの外に、数足のわらじを履いています。曰く、日本ペンクラブ会員、曰く、森の探検家、曰く、ノンフィクション作家。中公新書から『森林理想郷を求めて』と題する著作も発表しています。某大学から博士号を取得した経歴も持っています。
中央官僚というと、とかく明晰な頭脳で国家を動かすエリートというイメージがあります。事実、僕が接してきた官僚の皆さんは、机上の空論を振り回して、面白くもない話をする人が多かったように思います。(失礼!)
しかし、同氏は全く違う。発想が他の官僚とは全然違うのです。話をしながら、僕は何が違うのかずーっと考えていました。そして考えているうちに、養老孟司氏の本にあった「スルメを見てイカがわかるか」という言葉を思い出しました。
目の前で喋る、日本ペンクラブ会員兼、森の探検家兼、ノンフィクション作家兼、農学博士の先生は、活きたイカの話をしているのです。死んで干物になったスルメは歯牙にも掛けないから、話が面白いのです。
彼は、週末になると、離島や僻地と云われる場所に赴いてその土地を体感し、東京に戻っては、現場で活動する様々な分野の人々と杯を共にします。彼の頭の中には、常に新鮮なイカが踊っているのです。
都会には情報が溢れていると云うけれど、溢れている大半は、干物になったスルメに過ぎません。スルメを見てイカがわかった気になってはいけない。旅人が外国で常に思い知らされることですが、日常に戻ってしまうと、簡単には気がつかない。
旅人たる者、イカを語る、魅力的な人間にならなければなりません。
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