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秘められた歴史

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隠岐の島というと、流人の島という印象がないだろうか。日本海の荒波にもまれた孤島で、何か寂しげなイメージ…。

けれど、この島にはとんでもない歴史が秘められている。その一端を示すのが神社の数。日本海の離島に過ぎない隠岐には、何と150を超す神社が存在するという。この写真は、その代表とも言える玉若酢神社。
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境内には樹齢2000年と伝えられる八百杉(やおすぎ)がある。高さ29メートルの巨木で、天然記念物に指定された偉大な杉。昔は、これくらいの木が周囲に何本かあったそうだ。

玉若酢神社は創建年代は不明だが、『延喜式』という平安時代の記録にその名が見えるから、由緒正しい神社。社殿も、国の重要文化財に指定されているそうだ。

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隠岐は島でありながら、古くから「隠岐国」という、ひとつの「国」として中央政府から扱われていた。隠岐は、イザナギ・イザナミの国造り神話にいう「大八州」のひとつなのだ。

歴史の教科書では、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された場所として隠岐が登場する。というより、多くの人にとって、隠岐との接点は「流人の島」という記憶だけだろう。「絶海の孤島」というイメージは、そこから来ているものだ。

しかし見方によっては、隠岐は日本の玄関口とも言える。中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わった文化のルートは、北九州→瀬戸内海→近畿だけではない。山陰や北陸を経て近畿へ伝わる場合もあった。隠岐は、様々な文化が行き交った日本海にある島。それらの文化に触れないはずがないのである。

事実、この島の特産だった黒曜石は、日本国内のみならず、沿海州へも運ばれて人々の生活に使われていたという。

「流人の島」という閉ざされたイメージを改めて、「交流の島」という開かれたイメージで隠岐を眺める。そうすると、この島が秘めている大きな魅力に気がつくだろう。
ふるさと | comments (0) | trackbacks (0) admin

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